俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

忠誠イッテツ


飼い主に忠義を尽くすという点では、もちろん柴をはじめとする日本犬にこそ、その特質が濃い。
以前、保護犬の柴を連れて散歩しているとき、出会った老訓練士からこんなことを言われたと家内が憤慨したことがある。
「捨てられた犬だって? 日本犬はね、飼い主さんが絶対なんだ。飼い主が替わると、決して新しい飼い主には馴れない。咬むことだってある。悪いことは言わない、心を鬼にして処分したほうがいい。だから日本犬の飼い主は、犬より先に死んではいけないんだよ」

「悪いことは言わない」はずの彼は悪いことしか言っていないのだが、仮に一点だけ正しいことがあるとすれば、日本犬の飼い主は、犬だけを置き去りにして逝ってはならないということだろうか。
飼育放棄ほどこの犬種にむごい仕打ちはない。

すぐれた日本犬の、あの毅然と美しい佇まいをもった忠誠心。
それは当然、頑迷にかぎりなく隣接した一徹さである場合が多い。環境の変化には涙が出るほど弱い。
しかし、老訓練士に会うことができれば言っておきたいが、これまで保護した柴で、新しい飼い主さんに心を開かなかった子はいない。



テツの人間に対する姿勢は、そうしたものではない。
日本犬が一方向にのみ狭く開いた茶室の入口(躙り口)のようなものだとすれば、テツは全方向に開放された明るいサンルームといえるかもしれない。
誰に対しても開かれるラブの明るく寛(ひろ)い心。他の犬にでさえ。

人はそこに軽薄や空虚を見たがることがある。
「ラブはいいけど、誰にでもなついて軽薄だろ」「ラブは八方美人で情が薄く感じる」と。
そういうふうに話す人は、ラブと本当の意味で暮らしたことがないのだ。

私は驚嘆したのだが、これと思う相手に対してラブは、隠しポケットからさらに深い愛情表現を取り出してみせる。
「ご主人様、お望みとあれば、もう一段の愛情をお見せしましょう」
ここが終着点と思っていると、まだその先がある。

柴の忠義一徹とも違い、ラブのそれは「相互信頼によって生まれた絆」とでもいうべきものだと思う。
その絆は、ラブの方角からは「無償の愛」と呼んで差し支えのない距離にまで肉薄しており、そんなものが、この世界に存在しているのはほとんど奇跡のように私には思える。

ラブが飼い主から見捨てられたら、いったいどのようなことになるか。
その打撃の大きさを、テツにも見ることができる。
2009年07月29日(水) No.26

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