俺 流
[ Perro Dogs Home 預かり日記 ]
困難と承知で引き受けるということ
センターに恒常的に足を踏み入れている人間であれば、個人でも団体の担当者でも同じだと思うが、1頭でも多くの犬を引き出したいと切望しないではいられない。
ひりつくような感情といったらいいか。
一方で団体の担当者は、つねに自分たちの能力を客観的に計量しておかなければならない。
自分たちの容器の大きさはどれくらいなのか。そこに、あとどれくらいの水を注ぐことができるのか。
なんとか自分たちの容器の大きさそのものを増すことはできないかとも痛切に思う。
一時の感情によって団体の能力以上の犬を引きだし続ければ、いずれオーバーロードによって活動の持続が困難になる。
といって、自分たちに無理強いをせず、つねに安全運転を続けていくと、今度はボランティアとしてたいせつな何かが涸れていくのである。
理に走れば涸れ、情に流されれば灼けつく。救援活動はその間の比較的狭い空間に自分たちの立ち位置を定めなければならない。
昨年、センターに多頭崩壊の犬がどさっと収容されたことがあった。
私たちがセンターを訪れたとき、譲渡に適していると判断された7、8頭の犬が別棟の犬舎に収容されていた。
すべてMIXだった。
無作為に近親交配が進んでいたらしい。同一の血筋を感じさせる外見の子が多かった。
そのなかから、若く、比較的小型の2頭を引きだすことに決めた。
翌週、センターに2頭を引きだしに行ったときに、職員さんに残りの犬の行き先を尋ねた。
職員さんの表情は明るかった。
「ああ、××さんが出してくださるそうです。いっそ(残りの)全部をウチで面倒見ると言って」
私はこのときほどその団体の腕っ節と情熱に畏敬の念を覚えたことはなかった。
と同時に少し驚いたのである。
ほんの数か月前に、別の劣悪環境多頭崩壊を手がけたこの団体が、多数の犬を引き受けて、たいへんなご苦労があったことを知っていたからだ。
私たちが引きだした2頭に――間違いなく前飼い主の劣悪な飼育環境に起因する――共通の問題行動があることが、間もなくわかった。
何か月かがたって、たまたまその団体の代表者と出会ったとき、話は多頭崩壊の犬たちの問題行動に及んだ。
代表者の女性は小柄で、やさしい声の持ち主だった。苦笑して言った。
「ものすごく苦労することになっちゃって……。ああ、もう多頭崩壊はこりごりです」
だが私は知っている。
この女性とその団体が、もう一度同じ状況に出あえば、躊躇なく犬を引きうけるであろうことを。
大きな困難が予想されるとしても、それは変わらない。
2009年07月13日(月)
No.18
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