俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

異種格闘技


けれどもその物理量が、つまりテツの体のサイズが私に与えてくれるものは、こもごもの迷惑をまるごとひっくるめた全部をはるかに上回ると(家内はともかく私は)思っている。

毎日の厳しい共同生活に疲れきった私とテツが木の床の上でだらしなく寝てしまうときがある。
あるとき、そうした眠りから目覚めてみると、私はテツと抱き合っていた。
テツの体温が肌をとおしてじわっと私に伝わってきた。
私は言葉にならない感動を覚えて、部屋のエアコンが効きすぎていた(つまり寒くて互いに抱き合っただけという)事実などは頭から即座に排除された。



体のサイズが近い生き物と、種の壁を超えて、こうして心が通わせられる(ように思える)のは、本当に得がたい体験である。
犬以外のいったいどんな大型動物と、こうやってともに感情をまじえながら暮らしていけるだろうか。
人間とは遺伝子にわずかな違いがあるだけのゴリラやチンパンジーのような霊長類でさえ、同じ家で暮らす人の話は聞いたことがないし、豚や馬、羊とひとつ屋根で暮らせば近所から変人と思われるのがオチだ(いまでも十分思われているわけだろうが)。
同じ人間だって、相手によっては共同生活は願い下げにしてほしいと思うことが少なくない。

唯一、大型犬だけが、異種の大型動物との共生の喜びという奇跡を味わわせてくれる。
いま、上の行の「大型犬」という言葉を「ラブ」に置き換えたい欲求と私は懸命に戦っている。
それほどラブは<テツは>素晴らしい体験なのだ。
だから多少のことはガマンしなければならない——と思わないとやっていけない場合もある。
2009年07月21日(火) No.23

量質転化


物理量のせいで、小型犬では愛嬌で通るようなことも、大型犬がやれば困ったことになる。
少なくとも都市部で暮らす大型犬は、より制約の多い狭い範囲のなかで生きていかなければならない。

物理学に「量質転化の法則」というものがあるそうだ。
転じてあちこちで用いられる。

難解のようで、じつは誰にでもお馴染みの概念である。
たとえば、あなたが大好物のドラヤキを2個食べて「ああ、おいしい」と思う。ところが、それを30個食べようとすれば途中で嫌気がさすに違いない。
同じドラヤキが、2個なら好物でも、30個で嫌悪感を抱くモノに変わったわけだ。
量の大きな変化によって、そのものの質が変わってしまう。これを量質転化と呼ぶ(違うか?)。

テツの大きさは、小さな犬と同じ行動を、人間にとっての「問題行動」に変えてしまう。
私の年齢が、つねに私を「不審な中年男」視させてしまうのと似ている(違うか?)。


▲表情に自信のようなものが生じてきた

センターでの印象とは異なり、テツが吠えることはそう多くなかった。
私が預かった多くのダックスのアベレージと比べると吠える頻度は格段に少ない。
しかし、深い胸に共鳴して発せられる吠え声の音圧レベルは、小型犬の比ではない。
とうてい口では説明できない体感的な差がある。
私が外出するたびに、テツは玄関ドアまでついてきて、閉まったドア越しに万感の思いを込めた絶叫で見送ってくれる。
道を歩く私の背後からこの吠え声が追いかけてくる。
吠える時間はごく短いのだが、近所への印象点は最高レベルだろう。

テツが喜びに尻尾を振ると、座卓に置いてあるものが雪崩を打って床に落ちる。
テツが走ると、床のフローリング材は傷だらけになる。
テツとプロレスごっこをすると、私の手足も傷だらけになる。
先日、床に寝ころびながらテレビを観ていると、先住犬と遊んでいるつもりのテツが(いうまでもなく老いた先住犬には遊ぶ気など毛頭ない)、ジャンプ一番、前脚から私の顔に落下してきた。目が潰れるかと思った。

小型犬なら、手首のスナップで制御できるようなリードの引きも、相手がテツだと全身の力をかけても体ごと引っぱられてしまうことがある。

広い公園に出かけて、テツを思う存分遊ばせてやろうと思った。
私はテツの横にかがみ、リードをロングリードにつけ替えていた。
同行した犬2、人2が、私とテツを放置して勝手に遊びだしたのを見たテツは、
「オレも行くー!」
とダッシュした。
ロングリードの装着はまだ終わっていなかったが、私とテツは私の片手首に回した短いリードによって固く結ばれていた。
そのリードが伸びきった瞬間、私は横っ飛びに引っぱり倒されたのだ。
リードを持っていた手のヒジから簡易アスファルト舗装の、あのゴツゴツとした大型ヤスリのような表面に着地して、少しの距離を引きずられた。
何か骨が当たり皮膚が裂ける音が聞こえるような気がした。
起きあがってヒジを見ると、痛みとともに出血していた。
テツは嬉しそうに駈け戻ってきた。「すっごく楽しいネ」と。
同行の犬仲間はなぜか笑い転げていた。
リード? もちろん放しませんでしたとも。木口小平は死んでもラッパを放さないのだ。

小型犬なら愛嬌でも、テツの場合はことごとく平成の大迷惑に変わる。
テツももう少し文明人としてのマナーを身につける必要はある。
2009年07月21日(火) No.22