俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

センターから犬を引きだすということ


ここで、脇道に逸れるのを承知で、センターから犬を引きだす「仕事」について書いてみたい。
コトの性質上、どうしても抽象的な話になるのはご勘弁いただきたい。
ラブのことだけ読みたいのに、なんと余計な――と正当にもお感じの方は、2回ほど飛ばしてください。

センターから犬を引きだすのはタフな仕事だと思う。
多くの人が見落としているのは、あそこで私たちは救うより多く見殺しにしているという事実である。
引きだす数より、心だけを残して置き去りにする数のほうがはるかに多い。

センターを訪れた初日にその事実に突きあたって繊細な心が折れてしまうボランティアもいる。
それを乗り越えることができた人でも、センターに通っているうちに、心の底に澱(おり)のようなものが静かに積もっていることがある。


▲何かをくわえて走るのが大好きだ

事故や戦場、犯罪などの現場から生きのびた人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむ事実はご存じだと思う。
最初のショックから立ち直った後に、「私だけなんで生き残ってしまったのか」「見殺しにしてしまった」「どうして救うことができなかったのか」といった感情がジワジワと心をさいなんでいくのだという。
PTSDとセンターの経験を同一の次元では語れまい、絶対に。
しかしそれとまったく違うものではない何かが、現在進行形で1日ごと着実に、微細な塵(ちり)のようにして心を――最初の希望を――覆っていくのを感じないではない。
私は信じているのだが、優秀なボランティアの心には溶岩ドームのような意志の隆起があって、そこだけはどんな塵にも埋もれずに周囲を見わたして屹立できるのだ。

私自身は、自分の感情を上手に遮断して、現実と折り合いをつけることができると不遜にも思っていた。
ある日、センターの小型犬犬舎でマルチーズだったかポメラニアンだったかのケージを覗きこむまでは。
老犬だった。
死がその先に見えるほどの高齢になると、犬の顔つきは、あらゆる俗塵が流れ落ちたように透明になる。
ケージを覗きこむと、犬の澄んだ目がじっと私を見返していた。
怒りも悲しみも恐れもなく、ただ真っ直ぐ、私の心の深奥を照らすように、その目は問いかけているようでもあった。
「なぜ?」――と。
耐えられなかった。私は逃げるようにそのケージの前を立ち去った。

その犬を引きだすことはしなかった。
10歳を超える高齢犬を引きだすことを私たちは原則的にしていない。
そうやって活動を続けている。
救けなかった犬の数のほうがずっと多い。
2009年07月10日(金) No.17

コペ転


臨海学校前の小学生のように、大型犬2頭を迎える興奮と不安と期待の数日をすごした。それは、期待より不安により多く傾斜したものだったが。
数日後、センターからPerroの責任者に電話があった。
グレート・ピレニーズはほかの団体に譲渡されることになりました、と――。

私のブームは、突如として、有無をいわせぬかたちで、終わった。
ピレニーズは消え、手元に残ったのは、あの暑苦しいラブだけとなった。

呆然と落胆した。


▲私の腹の上に乗るラブ――おっとヨダレが

しかしまた数日がたつと、これはこれでよかったのではないかという気がしてきた。
どこかホッとした自分がいた。
ピレニーズが行った団体は大型犬の経験を私たちよりずっと積んでいるし、私が「知的で繊細」と見たピレニーズのあの眼は、じつは気むずかしさと狷介を見誤っただけかもしれない。
そもそも私たちには荷が重かったのだろう。
それになんといったって、あのラブがいるじゃないか。
ラブという犬種の根の善良は通販ジュエリーのように100%鑑定保証書つきだし、現にいいヤツだった。
でもなぁ……。
悪相で吠えかかっている姿が頭に浮かんだ瞬間、ふたたび落胆に舞い戻ることも正直あった。
2009年07月10日(金) No.16