俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

人ひと人


いったいコイツはどこまで人が好きなんだろうかと驚かない日はない。
募集コメントに「人が大好きです」と書く程度の、それは次元ではない。全存在を懸けているんじゃないかと思えるほど人が好きなのだ。


▲俺と走るテツ。重力で顔のあちこちが垂れ下がる

深夜に、河川敷で犬仲間と遊んだ。
誰もいない広大な河川敷で、テツは10メートルのロングリードの範囲内で自由に行動できる。
しかし、「さあ、好きに走れよ!」と声をかけても、テツは3点間を行き来することに終始する。
もちろん、ときどきは草むらで臭いをとったり、同行した他の犬にからんだりするのだが、基本的にテツは、私と同行した犬仲間2名――その3人がつくる三角形をしか動こうとはしない。

テツの関心が周囲に広がった広大な河川敷の自然の探索にはなく、身のまわりにいる人のことばかりなのには、まったく驚かされる。
私を除く2人が格別魅力的な人間でないのは、いうまでもない。
それでも、人について歩き、置き去りにされると慌てて追いかけ、人の尻の臭いを嗅ぎ、脚にからみつき、横について顔を見上げ……絶えずその存在を確認している。
セッターのように、行ったきり還ってこないなんてことは金輪際ありえないのである。

私が思うに、ラブ(テツ)の世界は小さな環を形成している。
その環は、人がそのしかるべき位置に嵌(はま)ってはじめて完全なものとなる。
人間の存在が、他のどの犬種よりもラブの世界には不可欠なのである。
人の欠けたミッシングリンクの世界はラブには苦痛でしかない。
十分に――この場合の「十分」は、あなたが「十分」と考える少なくとも3倍は見積もるべきだ――構ってあげることができないのなら、ラブを飼うべきではない。
放置は拷問に等しい行為となる。
2009年07月27日(月) No.25