俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

テツの禁忌




テツが、どういうモノに執着して唸り声をあげるのかを定式化しようと思ったら、たいへんな困難に遭遇する。
支離滅裂といっていいぐらいだ。
なにしろ、お食事中のドライフードに手を入れても全然寛容なのに、ゴミ箱から拾ったティッシュではお許しいただけないのだ。
いったいどんな脳味噌をしているのか、テツは――ということになる。

これまでの経験から、写真にテツの禁忌をまとめてみた。



(1)にかぎらず、ぬいぐるみはテツが最大級に愛するもののひとつであるが、気前よく人に渡す。
(2)のような、時間をかけて咀嚼するタイプのガム系のオヤツには、ひどく執着する。
(3)オモチャの類には全然寛容だ。ボールについても同じ。※
(4)牛骨も、ここまできれいさっぱり骨だけになると全然執着しなくなる。
(5)解凍前のビニール入りの骨しか用意できなかったが、いつもはスープストックをとった後に与える。こういうふうに軟骨や腱や肉、骨髄が付着した骨にはひどく執着する。
(6)あれほどガツガツ食べるドライフードには、まったく執着しない。食事中に手をフードに突っこんでも何も起こらなかった。
(7)オヤツの場合は通常、何も起こらない。というのも、瞬殺で飲みこんでしまうので、執着するヒマがない。
(8)この手がいちばん厄介だ。ゴミ箱から盗んだ、食べこぼしを拭いたティッシュなどもこれに属する。誰の所有権もないフリー状態のモノを自分が獲得したという意識があるからか、泣きたくなるほどつまらないものでも意外に執着する。ティッシュなどはオヤツと交換に簡単に吐き出すが、盗んだコーヒークリームになると、ふつうのオヤツより魅力的なためか、物々交換に応じようとしない。宥和(ゆうわ)路線を貫くのであれば、チーズの出陣となる。

「テツの法則」がご理解いただけたろうか。

※ショートステイ宅で、ピヨピヨボールに執着して唸ったことがあったが、素材のソフトビニールが犬にとって甘い匂いを放つため、テツは噛み噛みオヤツと思ったのではなかろうか。
2009年09月24日(木) No.50

拾い食い




その後も、テツの唸り声はマレにではあったが発生した。
明朗にして善なるテッちゃんに潜むダークフォースである。

「お父さん、テツがウーウー唸ってるんですけど」

テツと一緒にテレビを観ていた娘の呼ぶ声がする。
娘のところに駆けつけると、テツが娘の横に伏せて唸り声をあげていた。
私はこういうシチュエーションに出会えて嬉しくてならないのだが、予期せざるオヤジの到来に、テツの目は、明らかに弱りきった。
「あー、なんでこのオッサン来ちゃうかな」

「女性の前で引っ込みがつかねーから」と唸り声はやめないが、すでに声音に自信が失われている。
もはや、体面のためだけに抵抗のポーズを見せているだけで、2、3度「出せ」と命じると、ペッと吐きだした。
紙だった。
何かおいしいものを包んでいたもののようだったが、とうとう紙を食うまでに身をやつしたらしい。

スープの冷めない距離にある実家に預けたときは(というよりは「かわいいー」と拉致されていったのだが)、ゴミ箱に捨ててあったキッチンタオルだかティッシュだかをくわえて、それを掻きだそうとした家人に唸り声をあげ、あまつさえ威嚇のために咬んだ。もちろん手加減して、であったが。
もっともこれは、お互いの信頼関係がないのに、「きたらやっちゃうよ」と唸り声をあげて警告している犬に対して、声を荒らげてムリヤリ口からものを掻きだそうとした人間の側にも責任はある。



散歩中、1度だけ、テツが私に対して唸り声をあげたことがあった。
夜だった。
雑草の生えた公園で、テツは地面の臭いを嗅いでいたかと思うと、いきなり何かをパクッと口にした。
毒餌だったらたいへんだ。私は瞬時に青ざめた。
「出せ!」
手を口に伸ばすとテツは顔をそむけて、唸り声をあげた。
厳しい口調で再度命じると、口にくわえていたモノの大半をポロリと落とした。おにぎりだった。

お前、毒が入っていたらどうするんだよ!!
オレはお前のためを思って言ってやってるんじゃないか!!

私の方向を失った感情が爆発した。
大声をあげてテツのリードをグイグイ引き、現場から大急ぎで遠ざけた。
テツは驚いたに違いない。オッサン、とうとう気がふれたかと。
命じていないのに、しおらしくオスワリをした。目がそうとうに弱っていた。
リードを強く引かれたらオスワリするように教えられたのか。
いや、厳密にはそうであるまい。
テツ流理解で、「ヤバイ場合はとりあえずオスワリね」となっているのだろう。

口に入れたものをとっさに取り出せなければ犬の健康に危害が及ぶ場合もある。
これだけは直さないと本当にテツのためにならない……。
イザというとき、人が逡巡するようであってはならないのだ。

テツは「おにぎり一気飲みしちゃえばよかった」と思っているのだろうなぁ。
2009年09月22日(火) No.49

散歩




テツと暮らしていて、「ラクだ〜」と思うことはあまりない。
ほとんど皆無というべきところを、控えめな性格だからこう書いている。
ただし、愉しいこと、嬉しいこと、意外な喜びは無数に味わえる。

テツとの散歩はラクであってしかも愉しいという、希少種に属している。
もちろん、ラクというのはあくまで比較の問題で、「他の猟犬などに比べると」という前フリがつくのだが。

力は強い。
ときおり、何かの匂いをとろうとして予想外の方向に引っぱることがある。
他の犬や人のところに行きたくて、横や斜めの方向に力いっぱい引っぱることもある。
しかし進行方向に私をぐいぐい引き回すようなことはしない。
私より前にはほとんど出ないのである。

そのうえ、散歩の後半になると、「あー、退屈。あー、やってらんねー」という感じで、ずーたらずーたらと脚を引きずる歩きになる。
この若さで、怠けるということを知っているのだから恐れ入る。
そうなると私がテツを引くかたちになり、怠け者となったときのテツはひときわ重く感じる。

テツ君はナミの犬ではないので、ただ単に歩くだけという行為はお嫌いなのかもしれない。
「テツ、バイバイ!」と私が走りだすと、パッと灯りがついたように嬉しそうな表情に一変してピョンピョン跳ね走りする。(上の写真)
疲れているわけはないのだ。



気持ちが盛りあがると、リードをくわえ、このときだけは私の少し前を引いて歩く。
眉根にちょっとシワを寄せ、妙にマジメぶって、「オレ、大事な仕事まかされちゃってるからさ」という得意げな表情になる。
私の先導役を務めているつもりらしい。

テツの日常において、最大の敵は「退屈」(と「空腹」)の2文字だと思う。
散歩は少なくとも1日に2度は絶対に必要だろう。
けれども、長距離を歩く必要はまったくない。
それより他犬との接触など、変化があったほうがいいようだ。

よく、ラブとその飼い主さんが、公園で犬仲間の皆さんと真剣な表情で何か話しているのを見かける。
あれは、いま話さなければならない重要な話題はとくにないのである。
ラブも飼い主の真似をしてお仲間の犬と社交などしているが、それが十分な運動になるとも思えない。
私はセッターと地獄の行軍をしているとき、そうした光景を見るたびに、「あんなんで散歩になるんだろうか」と思ったものだが、ラブはあれでいいのだと、いまになって知った。

小さな声で付け加えると、ラブにおデブが多い理由でもあるのだろう。
(この点で私はラブの飼い主には一言も言及していない。念のため)
2009年09月20日(日) No.48

オレを見ろよ、オレだけを!




新聞紙の上に寝ているのは、路上生活の予習をしているわけではない。
私が朝刊を床に広げて読んでいると、こうしてテツが寝そべるのだ。
「オレよ、オレ。新聞を読むなら、オレを読んでよ」と。
テツが視界に入らない世界に行きたいとしみじみ思う。

家内とテレビを観ていると、2人の間に割りこんでくる。
そこまではいい。
しばらくして本格的に眠くなると、少し離れた場所に移動してイビキをかいて寝る。これも許す。
だが、テレビを観ながら2人が談笑したり笑い声をあげると、イビキをピタリと止めて、悪魔のごとき鋭敏さで目を醒まし、テレビの前に立ちはだかり、次には私か家内にむしゃぶりついてくる。これはカンベンしてほしい。
いいシーンを見逃したのも1度や2度ではない。

どうやらテツは、地球(テツの理解する地球は、わが家を中心とする半径1kmの歪んだ円板状をしている)の中心にいつも自分が鎮座していないと気がすまないらしい。無視されるのがいちばん嫌いだ。


▲「オレと遊べー」の模擬写真

私はアナログ波の停止まで、手持ちのテレビを使い続けるつもりだった。
アナログ地上波の終焉をこの目で見届けるつもりでいた。
ところが、あろうことかわが家のテレビ(ブラウン管式)が息絶えた。
不本意ながらテレビを買い換え、ケーブル局をデジタル契約に切り替えるよう申し込んだ。

簡単な切り替え工事があるという。
ケーブル局から2人の男性作業員がやってきた。
残念ながら私は用事があって工事に立ち会えなかった。本来なら絶対に見逃したくなかったのだが。
だから、以下のことは家内から事後に聞いた話である。

工事の作業員2人がやってくると、テツは大興奮におちいった。
遊び相手あらわる、と。
人は自分と一緒に遊ぶべき存在だと考えているのだ。

テツを見た2人は、明らかに嬉しそうではなかった。
男性のうち1人は犬を飼っているが、ただしチワワだかヨーキーだか、小型犬だという。
とにかくテツを隔離しないと作業ができない。息子の部屋に息子と一緒にテツを押し込んだ。
「オレを無視するな。遊べー」とガンガン吠えるテツ。

「簡単な工事」のはずが、全然簡単ではなかった。
出先の私に電話が入る。
「ケーブルが分岐しているけど、一方はどちらに行っているのか、って」
答えて電話を切ると、すぐにまた携帯が鳴る。
「アンテナ線の端末はどことどこに出てるかって、聞かれたんだけど」
ふたたび、10分ほどして携帯が鳴った。
「ブースターはどこにあるか知ってる?」
知っている。いままさにテツが幽閉されている息子の部屋の屋根裏にある。
押入の天袋からアクセスすれば、ネズミの糞にまみれたブースターが見つかるはずだ。

息子にテツを散歩に連れ出させて、その間にブースターの交換作業を終える。
こうして、見られたくない家中の秘所を見られてしまった。
続いて、テレビまわりの作業となった。

しばらくして、家内を呼ぶ作業員の狼狽した声がした。
「奥さん、奥さん。犬が……」
見ると、座って作業していた男性の背中に、嬉しそうな表情でテツがのしかかっていた。
小型犬を飼っている男性のほうだった。逃げ遅れたらしい。
犬の飼育経験がないというもう1人の男性は、いちはやく安全な場所に逃れて難を避けていた。
床に広げてあった図面や工具や部品類は、テツの4本の脚に踏みつけられている。
テツは、息子の出入りのスキに部屋のドアをすり抜けるや、まっしぐらに「遊び」に参加しにきたのである。

やはり地上波のデジタル化は鬼門であった。
2009年09月16日(水) No.47

視線の先




「9・11〜アメリカを変えた102分〜」というドキュメンタリーをケーブル局で観ていた。
なんともいえず気が滅入った。
テレビクルーや素人が撮った、当時のナマナマしい映像を、ナレーションなしにつなぎあわせた映画だった。むろん、つなぎあわせるには、高度の編集センスとテクニックが用いられているのだろうが、それをまったく意識させない。
まるで、あの時間に引き戻されたみたいだった。

人が、理解を超えた大きな厄災に見舞われたときに見せる、あの茫然自失の表情。そのなかで、ひとつだけ残った崩壊寸前のタワーに向かう消防隊員たちの顔には、恐怖と不安を押しとどめている静かな意志の力が見える。
この事件を機に、敵の狂信性と似たイヤなアメリカが出現する。「アラブ人を皆殺しにすべきだ」とカメラに向かって叫ぶ市民が映っていた。クロアチアのツジマンとセルビアのミロシェビッチが似ていたように、敵同士はどこか同じ相貌を帯びる。

いろいろなことが頭をよぎり、胸が張り裂けそうな気分になった。
ふと、足元で横になっているテツに視線をやると、テツはじっと私を見ていた。
その目はありったけの力を振り絞ってこう訴えていた。
「遊ぼ」
「ウンコしたい」
「オヤツくれる?」
「今日はもうご飯ないの?」
「散歩行こ」
「死ぬほど退屈」
(複数回答、五十音順)

突然、天から日が差してきたように、私の憂さが晴れてしまった。

テツ君、それじゃ、一緒に深夜の散歩と参りますか。

※堅苦しい話からはじめてスミマセン。
2009年09月12日(土) No.46

かりそめの譲歩


命じる声にテツは微動だにしなかった。
か細くなったとはいえ、依然として唸り声は続いている。
しかし、その目には薄い影が差しこんでいた。
「なんだよ、このオッサン、変人かよ。厄介なことになってきちゃったゾ」と。

「出せ」と繰り返す。
次には「出して」と少しトーンをやわらげて、石のように固まっているテツの頭や体を構わず手でなでてみる。
能面のように無表情になったテツの目に差しこむ影がいよいよ濃くなってきた。
唸り声は止まっている。



だいぶ以前のことだが、こういう目を見たことがある、人間の男の子に。
世界中を相手に突っ張っているうち、気がついたらドツボにはまっていた。しかし自分から折れるのはメンツが許さない。目から涙がこぼれ落ちそうだが、泣いたらコケンにかかわる。進退窮まるとはこのことだ……。
いままさに瀬戸際にいる――泣きだすか、ここで折れるか、その両方ともか。

テツは泣かない。折れる以外の道はない。
ポトリと牛骨を口から出した。「しかたねぇなあ。今回はまけてやるよ」と。

ホメまくってから、今度はオヤツを用意してテツに牛骨をふたたび与える。
あとは物々交換である。
私のリクエストにこたえて何度でもテツは牛骨を渡した。

これでめでたく一件落着、といいたいところだが、テレビドラマ以外の現実世界はそれほどシンプルではない。
次にはもう一度リセットして、やり直しとなる。
なにしろテツはこの手法で2、3年、うまいことやってきたのだ。
何度でも試してみる価値はあると考えているに違いない。
2009年09月04日(金) No.45

若オスという存在



夏も終わる

テツのモノに対する執着がひどくて、飼育が難しいように誤解されては困るので、ここで申し添えておくと、テツの日常生活の99パーセント以上にはなんの問題もない。
執着が問題となるのは1パーセントにも満たない例外的な事例なのである。
その例外的な事例をこれからお知らせしようと思う。
腫れ物に触れぬよう、そっとやり過ごすことも不可能ではないが、しかし、その1パーセント未満を放置しておくのはいけないと思う。理由はあとで書く。

少し前の日記に書いたとおり、テツが牛骨をくわえているとき、手をテツの口に近づけると唸り声をあげた。
頭に触れると、日ごろの善人ぶりはどこへやら、マズルに皺を寄せた。今回は明らかに威嚇の表現である。
「それ以上くると、オレ、やっちゃうよ」と。

以前、♂の大型犬の飼い主さんから聞いた話を思いだした。
「男の子はね、食い物のこととオンナのことになると、突然、見境いがなくなるんですよ」
見境いがなくなるというのは、バカオス同士のケンカ沙汰のことだ(若オスのほとんどは愛すべきバカオスである)。
テツが女性問題でトラブルを起こしたという話は聞いてないが、いったん口に入れた食べ物についてかなり頑なな考えを持っているらしいことは、よくわかった。


広角レンズで写したため、顔が縦長のスマートテッちゃん

私見だが、いかなる場合でも一緒に暮らす犬に咬まれるのは避けるべきだと思う。
犬に咬まれて眉ひとつ上げないタフな人間であれば、話は違ってくるかもしれない。しかし、ほとんどの人間は咬まれるととっさに大きなリアクションをする。
恐怖と痛みでとび退くか、または発作的な怒りによって粗暴に対応する。
どちらも犬に非常によくない影響を与えると私は思う。

幸いにも、テツが牛骨に強い執着を示して私に唸り声をあげるだろうことは、ショートステイ先からの情報によって、ある程度予期できていた。
私は手近にバーベキュー用の耐熱手袋を用意しておいた。
強力な顎と歯を持った大型犬が本気咬みすれば――テツが本気咬みする可能性は皆無だろうが――耐熱手袋ぐらいではダメージは避けられないことは承知している。
分厚い耐熱手袋を私が着けるのは、少しでも恐れや逡巡をなくしてテツに接するためだ。
恐怖や怯えは言語より雄弁に相手に伝わる。
自信と気魄(きはく=「魄」はたましいの意味だから、「気迫」よりいいね)を全身から発散させながら、テツに向かわなくてはならない。
耐熱手袋を着けた左手を差しだし、精いっぱいドスを利かせて、決然と、しかし静かな声でテツに命じた。
「出せ」
2009年09月04日(金) No.44

交換経済




あらかじめお断りしておくが、私は犬のトレーナーでもないし、動物行動学に詳しい人間でもない。
これから書くことは、ただ単に私のやり方というにすぎず、間違っている可能性が(大いに)ある。
くれぐれも手本になどしないようにお願いします。

テツはボールをくわえて私のところに戻ってくると、見せびらかすようにして、すぐには渡そうとしなかった。

ここからのやり方は2つあると思う。

ひとつは粘り強い説得だ。
私の手を差しだして、「出して」(あるいは「オフ」でも「放せ」でも「出せ」でも)とドスの利いた声でお願いする。
怒鳴ったり、声を荒げたりする必要はない。
説得を何回か繰り返していると、テツの目が微妙に泳いで、「チッ、しかたねーな」と、ボールを固くくわえた力を少し緩める。
そのときボールをつかんで引っぱれば、スルッとテツの口から抜けるし、手を出さなくとも、さらに説得を続ければポトリと下に落とす(ことが多い)。
もちろん、ボールを放したら間髪を入れずにホメまくる。

ただ正直なところ、ボールを投げるたびに、蚊に刺されながら、テツの表情をうかがいつつ、時間をかけてこれを繰り返すのは私には辛抱たまらない。



もうひとつはオヤツをつかう方法。
簡単にいえばボールとオヤツの物々交換だ。
テツはボールを私に与え、私はテツにオヤツを与える。そのボールはふたたび私によって投じられ、それを回収してきたテツは、オヤツと交換する権利を得る。
私は何ひとつトクをしないが、テツはボール遊びもできてオヤツも食べられる総取りのシステムというわけ。

これは効く。
どれほど効くかというと、オヤツを見せるのが早すぎれば、はるか遠くでポトリとボールを口から落として(ある意味では高度な遠隔操作であろう)、全力で駆け戻ってきてしまうほどである。
テツは生まれつき交換経済のなんたるかを知っているのではないか(もちろん間違って、だが)。

こうして3回オヤツとボールを交換すると、次の1回や2回は、オヤツなしでもボールを渡す。
その繰り返しである。
目標としてはオヤツなしでボールを渡すようにさせることだが、これにも多少、私の根気が必要となる。

根気がもともとないから、こうやってテツと遊んでいるうち、私はじつにもの哀しい気分に襲われる。
2歳だか3歳になったラブに、いまさらボール遊びのイロハを教えなければならないことに、だ。
子犬のころから、遊びのなかでこうしたこと(自分が執着するモノを人に渡すこと)を教えてあげれば、何ひとつ問題にならないのに、それを怠ったために後々面倒なことになる。

私も中学・高校と、もっと英語を真剣に勉強していればよかったと、あらためて思う。
2009年09月01日(火) No.43