俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

かりそめの譲歩


命じる声にテツは微動だにしなかった。
か細くなったとはいえ、依然として唸り声は続いている。
しかし、その目には薄い影が差しこんでいた。
「なんだよ、このオッサン、変人かよ。厄介なことになってきちゃったゾ」と。

「出せ」と繰り返す。
次には「出して」と少しトーンをやわらげて、石のように固まっているテツの頭や体を構わず手でなでてみる。
能面のように無表情になったテツの目に差しこむ影がいよいよ濃くなってきた。
唸り声は止まっている。



だいぶ以前のことだが、こういう目を見たことがある、人間の男の子に。
世界中を相手に突っ張っているうち、気がついたらドツボにはまっていた。しかし自分から折れるのはメンツが許さない。目から涙がこぼれ落ちそうだが、泣いたらコケンにかかわる。進退窮まるとはこのことだ……。
いままさに瀬戸際にいる――泣きだすか、ここで折れるか、その両方ともか。

テツは泣かない。折れる以外の道はない。
ポトリと牛骨を口から出した。「しかたねぇなあ。今回はまけてやるよ」と。

ホメまくってから、今度はオヤツを用意してテツに牛骨をふたたび与える。
あとは物々交換である。
私のリクエストにこたえて何度でもテツは牛骨を渡した。

これでめでたく一件落着、といいたいところだが、テレビドラマ以外の現実世界はそれほどシンプルではない。
次にはもう一度リセットして、やり直しとなる。
なにしろテツはこの手法で2、3年、うまいことやってきたのだ。
何度でも試してみる価値はあると考えているに違いない。
2009年09月04日(金) No.45

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