俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

ミュージック・ビデオ


唐突ですが、いつも拝見しているブログで紹介されていたミュージック・ビデオにウウッときたので、ここに転載します。

https://www.youtube.com/watch?v=-ncIVUXZla8

なにも書きません。ただ観ていただければと。

(注意)ビデオに登場している犬とカンペイには、とくに関係や類似性は見いだせませんでした。
2015年07月17日(金) No.189

カンペイ海に行く(1)




ここに書いたのは1年半も前の話である。
お前の預かり日記は時間をどんどんさかのぼってタイムトラベルしてるのかと呆れられても当然なのだが、書きかけて放っておいたのがどうにも気持ち悪く、書き散らした虫食い文章に1年半という時差で補足し、恥をしのんでアップすることにした。
ですから皆さんがお読みのエピソードは1年半前に起こった昔のできごとであります。

公園やドッグランに出かけて、たびたびカンペイが大喜びする姿を見て、次は海がいいんじゃないかと漠然と思った……。

で、元旦(2014年の、ですけど)に車で千葉の富津岬に出かけたのである。家内と娘、そして私とカンペイで。
見晴らすかぎりの砂浜で思いきり遊び喜ぶカンペイを見るのはさぞ楽しかろうと。
浅慮であった。


「トゥルーへの手紙」オフィシャルサイトから


「トゥルーへの手紙」といういっぷう変わった映画をご覧になっただろうか。
この映画には全編を貫く一本の物語があるわけではない。
いろいろな映像がつぎはぎされ、そこに「反戦」「友愛」「反差別」「生と死」「若さと老い」といった通奏音が奏でられるなか、画面いっぱいに登場しては私たちに圧倒的な印象を与えるのはもっぱら「犬たち=善なる生の象徴」の役目なのである。
私などはもう、何頭ものゴールデンが美しい海岸を嬉々として爆走するシーンを見ただけで胸がいっぱいになってしまった。

ゴールデンたちは渚を走り、砂まみれになって遊び、海に突進し、潮水をかぶり、サーフボードに乗る。
これっぽっちもまじりっけのない生の謳歌。制作者のいう「人生のあらゆる瞬間につなげたいと願う、かけがえのない瞬間」の無上に美しい切り絵の数々である。
(そのゴールデンたちみんな、制作者――写真家だという――の飼い犬らしい。なかの1頭がトゥルー。なんて素晴らしい犬まみれ生活だろう)


「トゥルーへの手紙」オフィシャルサイトから


「砂浜で遊ぶ犬と私」というシチュエーションは、多くの飼い主が一度は(あるいは何度となく)夢見る光景ではないだろうか。
だがカンペイはトゥルーではなかったし、私はトゥルーの飼い主ではなかった。
2015年07月09日(木) No.188

うざっ





もう1か月以上前の話だから旧聞に属するが、カンペイが通院している協力動物病院で、子犬のやんばるチャン(募集番号380)にバッタリ出あった。
カンペイが病院通いしている理由は、もう少しあとでまとめて書く機会があると思う。

やんばるは沖縄から姉妹犬(379)と一緒に飛行機に乗ってやってきた。もちろんスーパーシートではなくカーゴデッキで。
私はこの子たちが到着してからそれほど日をおかずに一度ふれあっている。
それから3か月の月日がたっていた。ひと目見て、身体が大きくなっているのに驚かされた。
久しぶりに会ったらあどけない幼児がピカピカの小学1年生に変身していた感じといえばいいか。

病院の待合室でやんばるは、その莫大な好奇心の貯水池をカンペイに向けて蛇口全開した。
進退窮まったのはカンペイである。



「ねえねえ、おじちゃん、どうしてそんなに真っ黒なの?」
「ねえねえ、おじちゃん、飛行機乗ったことある? アタシあるよ」
「ねえねえ、おじちゃん、注射したことある? アタシあるよ」
「ねえねえ、おじちゃん、沖縄って知ってる? アタシ知ってるよ」
――うざっ。えらいのと出会っちゃったなぁ。




「ねえねえ、おじちゃん、追いかけっこしよ」
「ねえねえ、おじちゃん、公園行こ」
「ねえねえ、おじちゃん、いつ遊んでくれる? 何月何日何時何分?」
「ねえねえ、おじちゃん、ウチに来ていいよ。いつ来るの?」
――悪夢かよ。

何を隠そうカンペイの最大の苦手は子犬の女の子だ。
男の子が相手の場合はウガッと蹴散らすことができるカンペイも、相手が女の子だといつも受け身に立たされ、逆・上から目線でよくてタメ口扱いの相手になりさがってしまう。
父性や騎士道精神のようなものがあるはずもないので、不思議である。

カンペイにとっては幸いなことに、ほどなくしてやんばるチャンは診察台に拉致されていったのでした。




最初にあったときのやんばるは、旺盛な活動性(多動性)といくぶんシャイなところが密に絡みあっているように見え、私は「この子には少し難しいところがあるのかもしれない」と思った記憶がある。
しかしこの日あったやんばるは見違えていた。
活動性はそのままに、不要にシャイなところ(過敏さといいかえてもよいかもしれない)がきれいに抜け落ちていた。
動物病院の待合室でやんばるは、怖がって逃げ隠れしようとすることもなく、声をだすこともせず、他の犬に神経質に反応することもなく、子犬にしては十分すぎるほど落ち着いて振る舞っていた。かといってその平常心は子犬の本来的な好奇心の発露をすこしも妨げていないのである。

私は感心した。
やんばるに対してというより、この間この子を預かっていたボランティアさんの努力とご苦労と手腕に対して。
どうやったら、こんなにいい子に育つのか……。

まあ、私が何かを書くより、この子の預かり日記
「中継地点 ~Dogs Spot~」をお読みいただくほうがずっと早い。
ここに書かれている内容は、活動的な子犬を飼育しようという人への有益な手がかりになると思う。
もちろんこれがそのまま飼育テキストになるわけでは全然ないが、きちんと読みさえすれば、そこからくみとれるものは決して小さくないはずだ。

結局、犬がどう育つかは飼い主の接し方に多く(全部ではない)かかっているのだという当たり前の事実を再認識させられた。
あ、カンペイは別ですけど……(察し希望)。
2015年07月02日(木) No.187