- 2007/12/08
Perro運動会

去る11月18日、所沢市のドッグランの一面を借り切って、Perroの主催する秋冬の運動会がおこなわれました。
朝から快晴に恵まれたこともあったのでしょう。思いがけず40人以上のご参加をいただきました。そこに27頭の犬が加わるのだから壮観です。
なんとも朗らかで楽しい集いになりました。

「うちの子にこんな能力があるなんて知りませんでした」
「他の犬とは遊べないと思っていたのに……」
「こんなことができるんですね。驚きました」
こういう言葉を少なからぬ飼い主さんからいただいたのは、私たちにとって飛びあがりたいほど嬉しいことでした。

ご参加いただいた皆さんに、心からお礼を申しあげます。
また春にお会いしましょう。

- 2007/11/06
センター講習見学会

先日、Perroのスタッフ、預かりボランティアで、東京都動物愛護相談センター本所に、見学・講習会に行ってきました。

センター本所は世田谷区八幡山の住宅街にあります。毎日たくさんの動物が収容されたり、そこから送られたりしているのに、「いったい何の建物だろう」と思うくらい静かな場所でした。

まず獣医師である職員さんに案内されたのが診療室と犬舎でした。
診療室は負傷した動物を診て、簡単に治療する場所です。
犬舎には、飼い主に放棄されたり、迷子になって保護された動物が収容されています。
そこはまるでペットショップのショーウィンドウのように、人気犬種がズラリと並んでいました。
ペットショップとの違いは、きらびやかなライトが当たっていないこと、そしてほとんどが成犬だというだけです。

犬舎の中には知らぬ場所に連れてこられ怯えている子。 怖くてずっと吠えている子。人を見ると立ち上がりシッポを千切れんばかりに振る子。あきらめたのか体調が悪いのか、横になったままの子。なんの種類か見分けがつかないぐらいに毛玉や糞尿だらけの子……いろんな子がこちらを見ています。

ちょうどそこに車でセンターに運ばれてきたばかりの犬がありました。
どうやら保護された迷子犬のようです。
この子たちは、まずマイクロチップのセンサーにかけられ、体高体重をはかり、ホームページに載せる写真を撮られます。そして犬舎に放されます。
その犬は、ここはどこなの……とウロウロ。知らない人に縄を掛けられ、無理やりこんな場所に連れて来られて、ビックリしちゃうよね。
どうか、どうか飼い主さんのお迎えが来ますようにと願うしかありません。

飼い主の勝手な都合で持ち込まれた犬もいます。
子犬で買ったはいいけれど、こんなに大きくなると思わなかったから。
自分の子供が生まれて、犬の世話が出来ない。
引越し先がペット不可だ。
不妊手術を行わなかったため、子犬を産んだが貰い手がいない。
旅行に行きたいが、ペットホテルに預けるとお金がかかる。
高齢になって、最期を看取るのが嫌だ。
……こんな勝手な理由で、飼い主を自分の親だと信じきっている飼い犬を、平気でゴミくずのように 捨てる人が現実にいるのです。

その後に受けた講習会の中で「飼わない選択」という言葉が何度も使われました。
・ 毎日のお世話や散歩、きちんとした躾けはできますか?
・ ペット可住宅に住んでいますか?
・ 引越し、出産などがあっても変わらず大事にしてもらえますか?
・ 病気になった時、お金がかかっても病院に連れて行ってもらえますか?
・ ペットが年をとって最期を迎える時、最後まで看取る覚悟はありますか?
犬は飼い主を選べません。だからこそ、上の条件を満たすことができない方は、どうか「飼わない選択」をしてもらいたいと思います。

ペットを飼う人が正しい知識を持つこと。毎日罪の無い動物が、人間の都合で致死処分されている事実を、少しでも多くの人々に知ってもらうこと。知識を持った飼い主が一人でも多く増えることは、処分される数を減らすことに繋がります。人間を信じて止まないこの子たちが、一頭でも幸せを掴むように、私たちは日々活動していきたいと思います。(M)

- 2007/09/22
生き方の選択

*前回からの続きです

この小説に、作者が犬の革紐について、さりげなく書いている部分があります。さらに2か所を引用してみます。

 二人は連れだって家を出た。いい年の男と少女と犬と。ホラスは首輪に革紐をつけており、ルーシーは手袋をはめた手にその端を握っていた。厚い毛織りの帽子を耳まで引き下げてかぶり、新しいジャケットのジッパーを首もとまで上げていた。
 ルーシーは蝶番をキーッときしらせて(教会堂の)門を開けた。二人は小道を上がっていった。ポーチの中に貼り紙があった。「どうか、お入りください。ただし、犬は中に入れません」 それで彼らはホラスの革紐の端を外側のドアのハンドルに結び、彼をドアマットの上にすわらせた。ホラスは不本意そうな顔をしていた。

なんでもない光景ですが、作者が、犬の首輪と革紐、それを握る人間の手について、きちょうめんに描写していることにお気づきになられたでしょうか。前項であげた文章でもそうでした。
この小説の登場人物は、どんなにひなびた寒村であっても、犬を放しません。人間と犬とのあいだは革紐が仲介するべきだとでもいうように。
たった一度だけ、14歳の少女がホラスを革紐から放したとき、都会からやってきたキャンパーが放していた大型犬に噛まれることになります。

結局、この小説を読むかぎり、私たちの考える「いい飼い主さん」と英国の「いい飼い主さん」にそう違いがないことがわかります。彼我の常識は、私たちが思っているほどに差がないのかもしれません。

私が彼我の常識に大きな差を感じるのはむしろ、人の生き方、生きる姿勢のあり方です。
大都会に住むひとり暮らしの老婦人が、決然と田舎暮らしを開始し、その伴侶として1頭の成犬を救援センターから選ぶ。自分の人生をよりよく生きるために、最良の同伴者として――。

Perro Dogs Homeにも高齢者からのお申込みが入ることがありますが、申込書をよく見ると、じつは息子さんや娘さんからのお申込みで、「(老親が)ひとりで寂しそうなので」「犬がいれば元気になるのではないかと思って」といった申込理由が書かれていることがあります。

しかもご本人の意志を確認していないことが少なくないのです。
老人を慰撫するための「あてがい扶持(ぶち)」としての犬……。
それが善意や愛情と考えられているこの国。

では、日本にはこの小説に登場するエルフリーダのような老人はいないのか。もちろん存在します。
私が以前所属していた団体で、その女性に出会いました。
彼女は、保護犬とのお見合いに、自ら選んだ後見人を同伴してきました。「私に何かあって犬の面倒が見られなくなったら、この方が面倒を見てくださいます」と。

その婦人は会が保護した2頭の柴を丹念に見比べると、年齢が高く、やや性格のきついほうの柴を選びました。
意外な選択でした。

「私の年齢を考えると、少しでも年が上の子のほうがいいと思って」

私はその言葉に感動していました。
デザイン関係の仕事をしている60代半ばのひとり暮らし女性でした。
譲渡後、はじめはその柴に噛まれたこともあったようですが、この女性はものともせず、いまは柴との絆を深め、幸せに暮らしています。

こういう高齢者の方の申込みであれば、私たちは喜んでお迎えします。(C)


- 2007/09/22
彼我の常識

*前回からの続き(あまりに更新が遅くなったのですっかり忘れてしまったことと思いますが)

じゃあ、いったい彼我の違いはなんなのか。
私たちの常識と、彼の地の常識はどこが違うのか。

といっても、私はイギリスに在住したこともなければ、向こうの事情に詳しいわけでもありません。
この小説をもう少し詳しく読み解くことで考えてみたいと思います。

簡単に主人公に犬を譲渡したように思える団体の名が、この小説には記されています。
「バターシー野犬収容所」――。
なんとも殺伐とした名称に聞こえますが、原語では「Battersea Dogs Home」であったろうと私は考えています。
日本の英和辞典で「バタシー野犬収容所」などという訳語が与えられている愛護団体です。現在では強い違和感を覚える訳語ですが、最初に邦訳された時代の日本の事情が読みとれる気もします。

この愛護団体は1860年に創設された名門として知られています。(じつは私たちもひそかにこの団体を範としてあおぎ――そう言うのもおこがましいですが――名前の一部を拝借しています)

この団体は、犬を譲渡する際の審査が厳格なことでも有名です。
彼の地の心ある人士たちにとって、ここから犬を譲渡されるのは大変な名誉になると考えられていると聞きました。
(伝聞ですが、英国の本当のセレブたち――日本でいう拝金セレブではありません――の間では、高いお金を出して犬を購入するような行為はスノッブと見なされ、愛護団体から犬をもらいうけるほうがステータスが上なのだそうです。上流の年若い子女たちが、化粧を落とし、ズボンを泥だらけにしながら、アフリカのボランティア活動に身を挺するのと、どこか共通する趣味を感じます。たしかに、本当のセレブは、自らがセレブであることを拝金的物差しで証明する必要はないわけです)

つまり、大半の英国人の読者には、短い文章でもう、主人公の女性がこの団体の審査をパスできるだけの見識ある人物であることが了解される、みごとな小説の出だしとなっているわけです。
そうして、これに続く文章では、主人公の女性の犬に対する姿勢がさりげなく描かれます。

そこから2か所を引用してみましょう。

 翌日、エルフリーダは犬を近くのプードル・パーラーに連れて行った。カットとシャンプー、それにドライヤーを経て彼女の手にもどってきたとき、犬の毛はフワッとやわらかい手ざわりで、かすかにレモネードの香りを漂わせていた。

 エルフリーダは買物籠を片手に下げ、革紐の端をホラスの首輪にしっかり止めてコテージのドアを後ろで閉ざし、狭い小道を歩いて門から出ると、歩道を村の郵便局兼ストアの方角に歩きだした。 十月半ばの冴えない灰色の午後だった。

ことに、革紐を首輪に「しっかり」止めて、決然と歩きだすところの描写。
作者がエルフリーダという女性の人物造形において、ある思いをこめてこの部分を書いているのは明白です。
(C)
※この項続きます


- 2007/05/24
犬と人の常識
犬と人の関係について、私にある示唆を与えてくれた本があります。
ロザムンド・ピルチャーという女性作家が書いた「冬至まで」(中村妙子訳、日向房)。

独り身の老婦人が主人公の、英国を舞台とした小説です。何か驚くようなことが起こる話ではありません。ありふれた日常が語られているだけではないか、と感じる人がいるかもしれません。その「ありふれた日常」に、私たちが見落としていた、とてもたいせつなことが書かれているように思います。
よけいな説明抜きに、小説の書き出しをそのまま引用してみます。

 ロンドンを見限って田舎暮らしを始める前のこと、ある日、エルフリーダ・フィップスはバターシー野犬収容所を訪ねて犬を一匹、譲りうけた。すがりつくような目で、あたらしい主を待っている犬たちの様子に心を痛めながら、三十分たっぷり見て回ったすえにその犬が目に留まったとたん、エルフリーダは思った。「わたしがほしいのはこの子だわ」その犬は檻の桟にくっつくようにして、潤んだ黒い目で彼女を見上げていた。もともと大きな犬を望んではいなかったし、膝に乗ってキャンキャン鳴きたてる、神経質な犬を飼う気もなかった。この子はちょうどいい大きさ、犬らしい大きさだわ。
 やわらかい毛がその犬の全身を覆い、目の上に垂れかかっていた。耳はピンと立っていることもあるが、ピタッと寝かされていることもある。尻尾は鳥の尾羽のように誇らかに突っ立っていた。毛の色は白に茶色の不規則なぶちで、茶色の部分はちょうどミルクココアの色のようだった。系統は?——という問いに係の若い女性は、「ボーダー・コリーとビァデッド・コリーが混ざっているんじゃないでしょうか。そのほかにもたぶん、いろいろ」と答えた。系統なんて実際のところ、エルフリーダには問題ではなかった。彼女はその犬のやさしい表情に惹かれたのだったから。
 エルフリーダはバターシー野犬収容所に応分の寄付金を置くと、犬を彼女の隣にすわらせて家路についた。犬は満足げな面持ちでポンコツ車の窓ごしに外の景色を眺めていた。こういう暮らしに憧れていたんだと言わんばかりだった。


ここまで読んだだけで、もう、ため息が出ます。
なんの気負いもなく、近所の店先を覗くようなさりげなさで、主人公の女性はシェルターにたち寄って犬を連れだします。そこからこの物語がはじまるのです。

60代と思しき主人公の女性は、ロンドンから北スコットランドの寒村への移住を決意し、新しい人生の連れ合いとして1頭の犬を選びます。

シェルターの担当者が、相手が高齢で独り身であることにまったく頓着していないことに、まず私たちは驚かされます。
私たちなら、「その年齢でおひとり暮らしですよね。これから先、犬の生涯にわたって面倒を見ることができるんですか……」などと言いだしかねません。
もうひとつ。
老婦人が飼う犬としてふつうに私たちが思いうかべるより活発で大きなサイズです、「ちょうどいい大きさ」といって主人公が選んだのは。
ボーダー・コリーとビァデッド・コリーのMIX!
そうして、それが当たり前のように認められています。

ここまで読んで、何かしら根本的なところに彼我の違いがあるのではないかと気づかなければ、よほど鈍感でしょう。
もしかしたら、私たちの常識を一度疑ってみなければならないのではないか、と……。(C)

*この項続きます。


- 2007/05/17
出産

先日保護犬が我が家で出産しました。
お腹が大きい状態でセンターに保護され、飼い主が現れなかったのです。交配の時期が分からないので予定日も出せず、我が家に来て準備もままならぬ間の出産でした。

心配する周囲を横目に母犬は立派にやりとげました。教わったわけでもないのに、へその緒を噛み切り、お乳をあげ、舐めて排せつを促します。
母は強しです。

一匹はすぐ死んでしまい、粉ミルクを補った時期もありますが、残った子達は今や毎日の体重測定ですくすく育っているのが分かります。先日目が開き、もうじき乳歯が生えはじめて、離乳でしょう。

子犬はとっても可愛いです。しかし母犬は命をかけて産みました。どうしてお腹が大きいまま捨てられてしまったのか。望まれた交配でなかったのかもしれません。それでも母犬は自分のすべてを子犬に捧げて産み、そして子育てをしています。

犬を飼うというのは人間の管理下で飼育することです。
出産で母犬が命を落とすこともあるそうです。
望まれない妊娠は、飼い主の責任です。にもかかわらず、この母犬は、妊娠したことによって見捨てられ、命を落とす危険を背負って出産しました。人は責任から逃れ、母犬だけがすべてを負うことになりました。
不妊手術の是非は、人間に置き換えて考えるべきものではなく、人に飼育されている動物の幸福という点から考えるべきではないでしょうか。
今ある大切な愛犬を終生大事にするのが何より一番だと思います。(H)

- 2007/05/10
ありがとう

perro はとても小さくささやかな団体です。
それにもかかわらず、保護犬たちはたくさんのお申込みをいただいております。
本当にありがとうございます。
また、ボランティアのお申し出も、思いがけずたくさんの方に名乗りをあげていただいています。
本当にありがとうございます。
財政状況の厳しさは収支報告をご覧いただけば一目瞭然ですが、そこにも、温かなご支援をいただいています。
本当にありがとうございます。

そのご期待に添えるよう、努力していきたいと思います。

せっかくお申込みをいただいても、また、遠くからお見合いに来ていただいても、一匹の犬には一家族しか選べません。
それは、とても残念なことでもあり、申し訳なく思わないではいられません。
でも、保護犬たちはみんな、笑顔で「幸せになるよー!」と言ってくれている気がするのです。
こちらが、ハラハラ、ドキドキでも、自分の運命を自分で切りひらく、そんな力を持っている気さえしてしまいます。
なんといっても、他の助けられなかった犬たちの分まで、幸せになる義務があり、そして、その資質を持った素晴らしい子どもたちです。

perro卒業のラッキー犬たち。
いつまでも、笑顔でね。(N)

- 2007/05/02
マイクロチップがもたらした再会

少し前ですが、米国CNNの日本語サイトCNN.co.jpに、とても興味深い記事が掲載されました。

米国カンザス州で行方不明になったボストン・テリアが、モンタナ州で見つかったという迷子犬発見のニュースです。

驚かされるのはその時間的・空間的スケールです。
行方不明になったのが4年前、その間にこのボストン・テリアは直線距離にしてじつに千760kmも移動していたのでした。東京・大阪のおよそ3倍。犬が直線的に移動したとは考えられませんから、実際の踏破距離は信じられない数字になるはずです。
あの、体重10kgそこそこのちっぽけな体をしたボストン・テリアが!?

ですが、私が強い印象を受けたのは、それとはまた別の点にありました。
いったい、時間と空間の壁を超えて、どうしてこのボストン・テリアは飼い主さんと再会することができたのか・・・。
体内にマイクロチップ(IDチップ)が埋め込まれていたからです。
それがなければ、再会は決してありえなかったと断言して間違いではありません。

道ばたでこのボストン・テリアを保護した女性が、地域の動物保護センターまで運び、そこでマイクロチップに記録されたID(登録番号)をスキャン。ただちに飼い主が突きとめられました。

マイクロチップの真価はこういうふうにして発揮されるのだと、このニュースは私たちに教えてくれます。

しかしもちろん、マイクロチップは万能ではありません。
読みとり装置がなければマイクロチップに記録された情報は無に等しいものです。いやそれ以前に、そもそもマイクロチップがその犬に埋め込まれているのかどうか、外見から私たちにはいっさい判別できません。

迷子の犬を保護した人のなかに、行政の収容施設の保護期間の短さ(最短3日〜7日で致死処分に移る可能性があります)を嫌い、届け出だけ済ませて自宅で長期間保護飼養する善意の人がおおぜいいます。
仮にそういう方々の保護した犬にマイクロチップが装着されていても、気づかれずに終わってしまう可能性もあるわけです。
あるいは、「名札がついてないから、飼い主さんがわからない。かわいそうに・・・」と、どこにも届け出ずにそのまま飼い主になってしまう人もいるかもしれません。
一般には「マイクロチップ、何それ?」と、まだまだ認知されていないのが実情です。

また困ったことに、迷子犬の移動範囲は想像以上に広いにもかかわらず、津々浦々の行政施設、獣医師に読みとり装置が導入されているわけではありません。

トランプのゲーム以外の世界には「オールマイティ」はまず存在しません。
マイクロチップも同様です。
迷子札や鑑札の常時装着があって、マイクロチップの長所も生きてきます。この両者が揃ったときにはじめて有効性が確立されると考えたほうが間違いがありません。

Perro Dogs Homeでも、マイクロチップの埋め込みを、保護犬の新しい飼い主さんになる方には強くお願いしています。
あくまで任意でお願いしているのは、コストが決して小さくないこと(登録料込みで5千円程度かかります)、そして上記の理由があります。
幸い、新しい飼い主さんのご理解を得て、Perroのこれまでの譲渡犬のほとんどがマイクロチップを装着済みです。

しかし、まず迷子札や鑑札の常時装着、そして何よりも犬が迷子にならないような策を日常的にきちんと講じることがたいせつなのは、いうまでもありません。(C)

- 2007/04/15
生まれたけど飼えない子

全国で殺処分されている犬と猫の数、およそ44万匹……。
保護団体が能力限界まで頑張っても救いきれない命。
残念ながら、適正飼養可能な家庭の数には限りがあります。
また、各家庭が飼養できる犬猫の数にも限りがあります。
これだけの数の犬猫が日々致死処分されている一方で、無秩序な繁殖が今なお行われています。

A.適正飼養できる家庭の数 < B.現在飼養中の犬猫の数+繁殖される犬猫の数+致死処分から救出される犬猫の数

Bの中に、椅子取りゲームではじかれ、行き場を失う子はいないでしょうか?
不妊手術で救える命があることを、もっともっと多くの方に知っていただけますように……。(U)

>>不妊手術の必要性について、ぜひこちらで全文をお読みください。



- 2007/04/04
ウチの犬はバカ

このところ、雨が多いですね。
雨の中、散歩に出るのは大変でしょう。
我が家ではこんな日、室内でコマンドごっこや引っ張りっこをして遊んでいます。
トリーツをルアーにして足の間を通させたり、私の足をハードルにしてジャンプさせたり。
はたまた犬を「おすわりマテ」させて私がぐるっと1周まわったり、逆に私が座って犬に周りをまわらせたり。
うまくできたらご褒美に誉めてトリーツをあげます。
「もっとやろうよ」とニコニコの顔がいつもそこにあります。

ところで、「うちの犬はバカで……」なんて話を聞くことがありますが、犬はひとりでバカになるものでしょうか。

人にまったく構われずに育った犬を見ることがあります。
その子たちは、食べ物は与えられ、最低限のケアは受けてきましたが、人から遊んでもらったこともなく、虐待されたこともありません。

知っている世界のすべては犬舎の中だけ。人からほとんど何ひとつ影響を受けずに「飼い殺された」子たち。

「おすわり」ひとつできないけれど、純粋無垢で疑うことを知らず、まったくといっていいほど悪い部分がないのに驚かされます。
どこか子犬に似て、まったくの白いカンバスのまま、そこにいます。

こういう子を見ると、私たち自身が、無意識に犬たちの悪い部分を伸ばしてしまっているのかもしれないと考えさせられます。
「ウチの犬」を「バカ」にするのは、ひょっとして飼い主さんご自身かもしれませんよ。(H)