俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

カンペイのカンブリア紀



階段のてっぺんから動けない

カンペイの
カンブリア爆発と呼ぶべきできごとが目の前で進行していた。

多方面への進化がなだれを打ったように起こった。
排泄に次ぐもうひとつのめざましい進化は階段だった。
カンペイはわが家の階段を苦手としていた。
片側がダイニングキッチンに面して開かれている比較的急傾斜の階段がわが家にあり、この階段は中二階とも屋根裏ともつかない娘の部屋にだけ直結している。

カンペイは孤立して高い場所にあって冬は暖かい娘の部屋が好きなのだろう。
おっかなびっくり階段をのぼってしばしば娘の部屋にあがりこんだ。
若い未婚女性のベッドの上に無断で寝る。
当然シーツには抜け毛が山ほどついて、帰宅した娘は毎日コロコロ(粘着テープ)を狂ったようにかけている。


娘のベッドの無断使用現場

問題は、カンペイが階段をおりられないことだった。
この階段の片側が絶壁となっているのが、カンペイには怖いのだ。あがったきりになって、おりたくてもおりることができない。
これはある意味で娘を除く家族にとって朗報だった。
カンペイが階段をあがったら、ケージ同様そこから自力では出られないことを意味するからだ。

階段をおりる目算のないまま2階にあがったカンペイを、ときどき誰かが救出してあげる必要があった。
「ひにゃ〜ん」と猫のような声をだしているカンペイを救出するために私が階段をあがると、カンペイは自分で助けを求めたくせに「まず逃げる→自分の尻尾を噛んでぐるぐる回る」という怪しい動作に移行して、救出には非協力的な態度を示す。
繰り返し呼ぶと、ようやく私のところにやってきて、階段を1段おりたところに座った私の肩に前脚をかけるのである。
そのまま私はカンペイを抱きあげて階段をおりる。


オレ抱っこ好き。なんかうっとり

ご存じかどうか知らないが、強面(こわもて)の印象を裏切って柴には抱っこの好きな子が案外多い。
文太も抱っこすると私にじっと身をあずけたが、カンペイはさらに「ありがと」と抱っこ中の私の顔をなめる。

外泊した後のある日、カンペイが階段をひとりでおりた。
これは明るい話題に乏しいこの家の大ニュースとなった。

およそ考えられないくらい不器用な動作だった。
腰が引けたまま、突っぱらせた前脚を揃えてドサッと1段落とす。次に揃えた後ろ脚。また前という具合にして、ドサッ、バタッ、ドサッ、バタッという変拍子を奏でながら階段をおりていった。

カンペイは1年と5か月をかけて、ついに階段を征服した(いい忘れたが、階段をのぼれるようになるまでにもカンペイは1年近い日時を要した)。
同時に私は、カンペイを抱っこして階段をおりるというひそかな楽しみを失ったのだった。

2014年01月29日(水) No.167

急速体得



オレはやるぞ!

外泊した後の1、2か月に起こったことは、貧しい私の言語能力でも簡単にいいあらわせる。
カンペイはこの家で暮らすコツを体得したのだと。

まず排泄の話から。
前々回の日記で私は、排泄の不安があったから外泊に連れ出せずにいたと書いた。
わが家で排泄に失敗していたわけではない。失敗はほぼ皆無だった。
しかしそれは、散歩に出る時刻、散歩時間など、日常生活を厳格に定時運行してきた結果だと思っていた。
朝の散歩は午前6時(夏)〜7時台(冬)に家を出た。遅くとも8時までに家を出る。夜は午後10時〜11時ごろに家を出る。
可能なら夕方に1度、庭で遊ばせる。
外泊によってこうした安定的環境が変わり、リズムが変われば、容易に失敗するおそれがあると考えたのだ。



というのも今回の外泊より前のことだが、カンペイの排泄が鉄板に思えたので、多少ルールをゆるめても問題なかろうと、午前中の散歩時間を遅らせたり、ついには調子にのって1回スキップするようなことをした。
すると、たちまち排泄のタイミングを失って、廊下に大小を残してくださったのである(ただし、以前にシートを置いてあった場所で)。
ふたたび定時運行に戻したのはいうまでもない。

ところが外泊中に失敗はなかった。それどころか、外泊後のカンペイは驚くほど急速の進歩を見せたのである。
散歩に出るタイミングは朝でなくとも午前中でさえあればまったく問題なく、しかも、夜の散歩を省略しても、あるいは午前中の散歩が午後にズレこんでも、カンペイは平然と対応した。
いつの間にこれほど融通がきく男になっていたのか、と私は自らの不明に愕然とした。


午前中のこんな時間に散歩に出てもOKとなった。冬場はものすごく助かる。

排泄を催した場合、カンペイは私たちに「オレは庭に出たいんだよぉ」と知らせるようになった。
ギャンと短い声をあげるか、外に出るドアをガリガリとかいてみせた。
外に出すとしばらくして排泄し、その後はぷらぷら気ままに遊んだ。

庭に出しても「は?」という感じでいっこうに排泄しなかったカンペイが、「オレ流」をやめ、こうやって私たちと意思疎通しながらこの家に適した排泄行動(=私の望むやり方※)をとるようになったのだ。

<シッコたまった→オレが人に合図する→人がオレを庭に出す→オレがシッコする>という一連の人とのコラボを完全に身につけたのだった。
自信めいたものが、カンペイに芽生えたようにも感じられた。

(※)排泄は室内でもできるほうがいいに決まっているが、カンペイの脚上げ型放出の精度ではペットシーツ周辺の犠牲に耐えがたいものがあった。排泄のリズムを確定させるためにも、外での排泄に一本化することにした経緯がある。

2014年01月28日(火) No.166

変化



ドヒャ〜ッ!

「たしかに変わったよねえ」
別荘から家に戻った後にカンペイの様子を見て、そしてなぜか次に私の顔をしげしげと見て、家内はもう一度言ったのだった。

では、どういうふうに変わった?
それに答えるのは、私のありったけの言語能力を総動員しても、ものすごく難しい。
わが家の様子を誰かが外から見ていたとしたら、たぶんカンペイの変化に気づくことはできなかったろう。

それは一見すると微細でほとんど観測不能の、しかし一緒に暮らしている私と家内だけには疑いようもなくわかる変化だった。

カンペイは私の顔をよく見るようになった。しばしば顔を覗きこんで私の表情の変化に注意を払うようになった。
私や家内にそれとなく寄り添うことも増えた。
以前にそういうことをしなかったというわけではない。
しかし同じことをするのでも、そのときのカンペイの、何か言葉で表現しづらいものが変わったのだ。
前より甘えっ子になったという言いかたもできるかもしれないが、決してそれだけではない。
カンペイと私たちのあいだにあった薄布が取り払われた感じとでもいったらいいか。


言っときますけど、これ、楽しく遊んでるんですからね


私が外出すると、ドアの前でずっと待っているようなことも起こった。

家内は「こんなことなら、(外泊など)もっと早くいろいろな経験をさせてあげればよかったね」と話した。
私もそう思った。

このとき(昨年9月時点で)、カンペイがわが家で暮らしはじめてから1年と4か月がたっていた。
1年4か月!
それだけの期間を一緒に暮らした後、犬はまだ大きく変わることができるのだとカンペイが私に教えてくれたのである。
人間だって、年をとるにつれ自分を変えるのがいかに難しいかを痛感するばかりである。
犬という生きものの奥深い能力、成犬の預かりの醍醐味みたいなものを感じずにはいられなかった。(カンペイで犬を代表させてすみません)




ということで、これまでカンペイとはこういうヤツだとさんざん決めつけていた私は間違っていた。
カンペイには深くお詫びしたい。
そのうえであらためてみなさんに申しあげたい。

犬は私たちの想像をこえて可塑的な(=変わることのできる)生きものなのだと。
しかしその変化は私たち人間との相互作用によってのみ生じる。
飼い主がチャンスを与えなければ、犬は変われない。
ウチの犬はこうだと頭から決めつけず、ときには自分の枠、生活の枠からはみ出してでも、犬にさまざまな経験をさせてあげる必要があるのではないだろうか。
もしかしたら、犬の可能性を縛っているのはほかならぬ私たち自身の先入観や思いこみ、あるいは頑固な慣行なのかもしれない。
人が変わらないかぎり犬も変われないのだ。

カンペイの変化はそれまでのわが家の1年4か月の暮らしでわずかずつカンペイのなかで準備されてきたものだったろうと思う。
今回の外泊で変わったというより、とっくに準備完了スタンバイしてあったものが――そのことに私はまったく気づいていなかったのだが――ひとつのキッカケで作動したに違いない。
私がしたことは、それと知らずにダイヤルのひと目盛りを回したことによって水門を開き、いっぱいに満ちていたカンペイの変化をどっと水路に導き入れたにすぎまい。

この外泊以降、お互いの脳ミソ間の通用口が開通したように、カンペイとの生活のいろいろなところが変わっていった。


キリッ!
2014年01月27日(月) No.165

カンペイ2014.0 バージョンアップ



「あげまじでおめでどうございまず」 木の枝をバリバリ噛み

ラキ男についてまだ書き尽くしていないのだが、よく考えたら(考えるまでもなく)ここはカンペイ日記だった。
新年の巻頭にラキ男様登場ではさすがにあんまりだろうと思う。
カンペイについては、書くこと、書くべきことがじつは山ほどある。(いかに私が怠慢に日記をサボっていたかということだが)
※ラキ男の話はカンペイ日記の合間を見てもう少しだけ続けたいと考えています。

昨年の9月ごろを境にカンペイに劇的な変化があった。
きっかけは外泊だった。
カンペイを同伴して知りあいの別荘に2泊した。

これがカンペイを連れたはじめての外泊だった。
それまでカンペイを外泊に連れだせなかったのは、排泄に不安があったためだった。
別荘に泊まらせていただいたお礼に室内のあちこちにオシッコかけときました〜というわけには、残念ながら、まいらないのである。
しかし昨夏までには、カンペイの排泄にかんしてはまず大丈夫と確信できるようになっていた。
失敗は3〜6か月に1度あるかないかの例外的事故と見なせるようになった。


知らない山荘。オレすごく心配

山深い別荘に泊まって驚いたのは、カンペイが私の後追いをはじめたことだった。
私の行く先々に黙々とついてまわる。私が別荘の外に出れば、なんとドアの前で忠犬のように待ちつづけている。
まったく予想外のできごとだった。
これがラブだったら私は驚かない。しかし柴男子である。
しかもカンペイは、わが家にやってきてから私の後追いをしたことなど皆無だった。カンペイの側に必要(散歩に出るかも、オヤツをくれそうetc)があると認められたとき以外は。

後追いするカンペイの姿を見て、家内も私もほとんど仰天したのである。

「柴は人ではなく家に付く」という言葉があって、これをずっと私は至言だと思っていた。
ラブ、ゴールデンなどの西洋帰りの連中が「アンタが命」ともっぱら人に付くのに対し、原日本人犬・柴は「アンタはアンタ、オレはオレ、一緒にここで暮らしてる」という生き方を選択しているのだ、と。

外飼いの柴だと、その傾向はより強くなるはずだ。
飼い主から直接聞いたこんな話がある。
幕張に住んでいた柴飼いの家族が横浜に引っ越した。
柴は引っ越し後、新しい家からたちまち脱走して都内で保護された。まさに元の家へ向かう経路上で。


知らない場所、知らない世界。オレすごく心配

柴の美点はそんな性質とも結びついている。
人にベタベタせず、つかず離れずの関係を保ちながら、家の暮らしになじんで空気のように存在する。
そしてときおり、水底から浮かんできたように立ちあらわれる淡い(柴としては限度額いっぱいの)愛情表現にほろりとさせられるのである。

私は文太のことを思いださずにはいられない。以前、別の団体に属しているときに長期間預かっていた柴だ。
私が庭で何か仕事をしていると、文太はいつもそのあたりにいた。
たいていは私から少し離れた場所で、汚なそうな場所に頭を突っ込んだり、草木の臭いだとかなにやらを探索をしてまわっているのだが、一定の時間ごとに私の近くにやってきては「お前、ナニしてる?」と顔を覗きこんでは、また自分の「仕事」に戻っていった。私が庭仕事を終えて家に入ろうとすると、さっと足もとにいた。
その距離感は絶妙という以外なかった。
「日々在ることの幸福」という言葉の意味に近いあたたかなものを、私は文太と共有している気がした。
「ああ柴と暮らすってのはいいな」と感じ入ったものだ。

毎日ブラブラとじつにお気楽に生きているカンペイは、基本的には人よりも家に付いている犬だと私は思っていた。
それが突然、私の後追いをはじめた。
自分の馴れ親しんだテリトリーから見知らぬ環境に放り込まれて、私という存在の意味にはじめて気づいたのかもしれない。
カンペイにとって私は、家に常置きされているありがた迷惑な備品のひとつから、何かもう少したいせつなものへと昇格したのだと思う。

このときからカンペイと私たちの関係が大きく変わったといっていい。


心のやさしい文太。若くして心臓が悪かった
2014年01月12日(日) No.164