俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

断捨離




モノが増えて、自分にうんざりである。思いきって断捨離をいたすことにした。
まず、以前購入したパッケージソフトの空き箱。
ざっと20以上あるだろうか。
なんでこんなものを後生大事に取っておいたのか、まことに自分のやることは謎に満ちている。
ほとんどが私がパソコンを使いだして5年間ぐらいの間('95〜2000)に購入したものなので、パッケージソフトの衰退いちじるしい現在から見れば驚くほど、凝った箱づくりがされている製品もあった。

これを1個残らずバラして捨ててしまうことに決めた。
パッケージをバラすと、たいていは印刷のされた薄い外箱と厚紙でできた内箱にわかれる。
外箱を平らにして積み、頑丈な内箱はいったん床に放り投げておいた。
するとそこに、なんにでも参加することに意義を見つけるユーリが加わったのである。



ユーリは基本的に断捨離に反対の立場をとっている。
せっせと内箱の回収作業を開始した。
口でくわえて、はずむ足どりで自分の「巣」に運んでいく。
その仕草があまりにかわいいので、私は思わず手を止めて見やってしまう。

で、ユーリの巣の周辺は下の写真のようなことになった。
ユーリには数の概念がないので、「2個もあれば1日遊べるから、それで十分だよね」などとは考えない。
たいていの人間にはふつう数の概念がそなわっているので、マックバーガーを30個いっぺんに注文したりしない。
けれども、バーゲン会場などに入った瞬間、数の概念を置き忘れてしまうご婦人方が少なくないようだ。
ホモサピエンスのユーリ化であろうか。
私の家内も、だいぶ以前だが、逆上して福袋を複数購入したら、同じ中身だったという痛恨の経験を有している。


▲後ろにある大きなダンボール箱は前からユーリに与えられていたもの

ユーリがせっせと集めた内箱だが、大半は私が回収して捨てた。もちろんユーリがクレートですやすやお休みになっている間にだが。
ユーリはまったく気にしていない。
早くも他のものを集めにかかっている。
2011年01月24日(月) No.101

いちばんいい子




先日、息子の友人がやってきて、しばらく2人で息子の部屋にこもっていた。
もちろん、ユーリも嬉々としてそこに加わる。
とくに犬好きでもなんでもないその友人は、あとからこう言ったそうである。
「お前んちにきた犬で、いちばんいい子じゃん」

嬉しいような複雑なような、「無礼者!」と呼びたい気分もわずかにある。
この友人は息子とは10年来の交遊だから、わが家に寄宿したいろいろな子を両の目で見ている。
テツ(ラブ♂)もブリ(ブリタニー♂)も、その前のボーン(大型MIX♂)も、その他ショートステイの子の一部も、複数いた先住犬だって見ている。

でもって、ユーリが「いちばん」かい……。



とうに20歳をすぎているのに、彼と息子の判定基準はワガママと幼稚さにおいて率直だ。
なによりもまずテレビゲームとマンガ読書のジャマをしないこと。かといって彼らが面倒くさくならない程度には十分な親愛の情を示さなければならない。
(といっても、息子の判定基準は友人とはだいぶ違う。なによりも添い寝してくれることが大事で、その点でユーリにはご不満のようだ。「だって、ユーリは一緒に寝てくれないんだもん」。早く彼女を見つけるべきだと思う)

テツはもちろん失格。
だいたいテツを横においてテレビゲームなんて、できっこないのである。
すぐさま部屋から追い出されるはずで、現にいつも追い出されていた。
他方、じつに興味深いことに、ユーリは、さほど犬が好きでない若者にも好印象で受けいれられている。

多くの人と接するのを見て思うのは、ユーリほど誰からも愛される犬を知らない。
その点では、私の出あったどの犬よりもたしかに「いちばん」なのである。
たとえばテツであれば、「うーん、いい子なんだけどねえ……」という声がかならず聞こえた。

ユーリはとりたてて甘え上手なわけでも、抗いがたいほど愛らしいわけでもない。
体重20kgに達したユーリは、一目で悩殺されてしまうような幼犬的なかわいさも、すでに失っていると思う。
しかし、この子の心根のよさは、ほとんどどんな相手にも瞬時に伝わるものらしい。

2011年01月23日(日) No.100

吠えるユーリ(4)




少し話がわき道にそれるが……。
ユーリの優雅にテーパー(先細)のかかった流線型のマズルを見て、「あ、性能よさそ」と思った。
いうまでもない、先代の預かり犬・テツと比べての話である。
ラブの口はいったいどうしてそういうことになっているのか不明だが、口の両脇にヨダレポケット(私が命名)が設けられていて、そこからはてしなくヨダレがたれる。
その粗放な構造の口でテツが水を飲めば、飲んでいるのか打ち水をしているのかわからないくらい、まわりじゅうを水浸しにした。

ユーリの品のよいお口にはヨダレポケットのようなものはないし、先端にいくにしたがってすぼまっているマズルは、両脇からの水漏れが少なそうに見え、水道ホースにも似て、水の汲みあげ性能がよさそうである。
床が水浸しになる惨事とはこれでおさらば、と考えた。

だが、そうではなかった。
違うやりかたで、やはり床は水でビショビショになったのである。

ユーリの長いマズルを、ちょうどストローのようなものだと考えていただきたい。
水を満たしたコップにストローを挿し、その上端を指でふさいだまま持ちあげると、(大気圧のマジックによって)ストローの中の水も一緒についてくる。
が、そこでストローの上穴をふさいだ指を外すと、水はあっけなくストンと落ちる。
恐ろしいことに、ユーリの口で、これと同じことが起きるのである。
ユーリが水を飲み終え、顔を上げると、水が満たされた長いマズルから白糸の滝のように水が流れ落ちる。
実際、どんなことが起こるかは、下の写真をご覧いただきたい。
おかげで、床に点々と水たまりができる。テツより少しマシかなという程度。


▲流れ落ちる水の柱は2、3本になることもある(2011/02/04写真差しかえました)

さて本題。
吠え声の話ばかりがダラダラと続くのでいいかげんウンザリだろうが、私もだ。
もう少しガマンしてお付き合い願いたい。

「相手が自分の思うようにならないとき」、ユーリは吠えることがある。

たとえば、公園などで出会った他の犬と、軽いジャブ合戦のように双方から遊びの仕掛け合いになることがある。どちらもリードにつながれているから、存分の肉体的コンタクトはないままで。
そういうとき、相手が自分の思うように遊んでくれないと(遊びの消化不良=欲求不満をおこすと)、ユーリは吠えることがある。相手の犬に向かって甲高く何度か吠える。「もっと遊べー、オレの流儀で遊べー!」と。
ある日、小型犬相手にそれをやったとき(なぜか大型犬相手にはしない)、私は飼い主さんに向かって「この子は相手が自分の思いどおりに遊んでくれないと吠えるんですよ」とよけいな釈明をした。すると、その女性は、「あーら、××ちゃんは、あなたのオモチャじゃないんですからね」と言った。
背中を冷たい汗がつたい落ちた。

――こういうふうに書いてくると、まるでユーリは吠えてばかりいる騒々しい犬のようだが、実際はむしろ逆だ。
新聞で殺伐とした事件ばかり報じられるからといって、世の中すべてがそういうわけではないのと同じである。
ユーリは大らかな資質をもった静かな犬である。
ほとんどのとき、ユーリは吠え声によって自らの存在を主張しない。
クレートでは、ひっそりと過ごしている。
ユーリが必要と思うかぎられたケースでしか、声をあげない。


▲遊びをせんとや生まれけむ
2011年01月17日(月) No.99

吠えるユーリ(3)



▲コウちゃんの口にユーリの頭がズッポリ

コーギーのコウちゃん(Perro募集番号239)がわが家に寄宿していたときのこと。
ユーリの(ハタ目にはゴミ同然の)蒐集品の数々のうちのほんの1つをコウちゃんがくわえ、座りこんでカジカジすることが何度もあった。
本当にどうでもよいもの、たとえば、噛み残した牛革のかけらなど、そこらを見まわせば2つや3つはすぐに見つかる、そんなものをコウちゃんがくわえだしたとする。

すると――ユーリはすぐさまコウちゃんのところにやってきて、鼻面をつきだし、「これ、全部オレの。返してよ」とちょっかいを出す。
そう、ユーリは、たぐいまれなケチなのだ。
人生の艱難辛苦によって丸く削られたとはいえ、そこはコーギー魂のコウちゃんである。ガウウッと強烈な一喝をユーリにくらわす。

ユーリは、瞬時に部屋の端までふっとぶ。「マ、マジですかァ」と。
ユーリの反応はいつも、笑っちゃうほどオーバーである。
そうして、小さい目で様子をうかがいながら、少しずつ前ににじりよっては、コウちゃんから一定の距離を保ちつつ、ギャンギャン、ギャンギャンと吠えつづける。

これは正直いって、私のようなガマン強い人間にとってさえ、かなり不快な状態である。
わずか数十センチの距離からこの吠え声を浴びつづけているコウちゃんは、しかし、まったく意に介さない。天晴れなことに、表情ひとつ変えず、視線すらやらず、まるで聴こえないかのように、ただクチャクチャと口のものを噛み続ける。
だが、数分後、コウちゃんはペッと戦利品を吐き捨てると、なにごともなかったかのように立ち去る。
はたしてユーリの吠え声に根負けしたのか、単に興味が他のものに移ったのかはわからない。
悠然と、ユーリに一瞥(いちべつ)もくれずに去っていくのだ。

私はこの光景を見ていて、長年すべてに自分勝手に行動し何ひとつ思い通りにならない独善的な連れ合い爺さんの前で、ブツブツガミガミと絶えず小言を言い続ける婆さんの姿を連想する。

相手がコウちゃんだから、気安い関係だから、ユーリはこうやって吠えているわけではない。
ある日出会った初対面のゴールデンに対しても、ユーリはまったく同じように吠えつづけた。その騒音のなかで、ゴールデンはやはり耳が聴こえないように振る舞ったのである。


▲激しい取っ組み合い遊びの後、ゴールデンが水場の前をどっかりと占拠すると、
ユーリは少し距離を置いて「それ、オレんだから」と吠えつづけた。
頭を振って吠えているので写真がブレている。

▼でも最後には、2頭で仲よく水を分け合って一件落着。

2011年01月14日(金) No.98

吠えるユーリ(2)




ユーリの吠え方は、私が知るこれまでのどの犬とも微妙に違う気がする。
どこがどう違うのか説明するのはたいそう困難だが、なんというか吠え方が人間的なのだ。
犬が人間的に吠えるって、いったいどういうことよ――などと突っこまれると答えに窮してしまう。しかし私の印象では、ユーリはじつに人間的に吠える。

前々回の日記で、ユーリが吠えるシチュエーションとして、私は次の5つをあげている。

(1)山盛りのドライフードの入ったボールを目の前に、「スワレ」を命じるとき。2、3回吠える。
(2)牛骨の内側に私がチーズを塗っている間ずっと。
(3)私と遊んでいて激しく興奮したとき。
(4)相手が自分の思うようにならないとき。
(5)自分のモノの所有権を主張するとき。

じつはその後、これに1つ付け加えなければならないことを知った。
めったにはないのだが、このところ、ユーリは番犬的な警戒吠えをするようになった。
そのときは、いつものブリキ缶を叩いたような甲高く薄っぺらい吠え声ではなく、いったい誰が吠えているんだろうと思うほど重心の下がった野太い声をあげる。
吠え声を聴いた相手が、声の主の実力を見誤るのは間違いなかろう。素晴らしい抑止効果を発揮するに違いない。
ただし、遺憾ながら、吠え声をあげる先は、いまのところまったくの見当外れである。その誤爆ぶりは滑稽といってもいい。
外の物音はまだしも、高いところに積んであった服がバサッと落ちたとき、ひらひらと落ちていく服の輪郭が異形に映ったのか、その方向に懸命に吠えかかっていた。


▲歴代の犬にしゃぶり尽くされてツルツルになった牛骨。この内側にチーズを塗る。

上の(2)について説明すると、私は牛骨(スープストックをとってから、ユーリ以前の犬がしゃぶり尽くしたもの。すでにツルツルになっている)の骨髄が抜けた穴の内側に、犬用チーズを塗って時間つぶしの「知育オモチャ」としてユーリに与えている。
ユーリはチーズが発狂寸前の大好物らしく、私がチーズを塗っている間、休みなく吠えつづけている。
困ったものである。

(1)にしても(2)にしても、要するにユーリの期待値が高まって、頭の中で臨界点に達すると、ぐつぐつと煮えたぎって、吠え声が出るらしい。
沸くとピーと鳴るホイッスル・ケトルのような仕組みなのだろう。

(3)については説明不要と思われる。家内は「あなたと遊ぶと、犬はみんなバカになる」という。

私が人間的な吠え方と感じるのは、(4)と(5)である。


▲カラスを見上げるユーリ。鼻のてっぺんに木の葉のかけらがくっついている。
2011年01月05日(水) No.97

謹賀新年



▲目の内奥から不敵な好奇心のきらめきがのぞく。しかしそれはなんと知的な目なのだろう。
悪いことしか考えていないはずなのに


ユーリの吠え声について書くつもりだったが、ぐずぐずしているうちに、年明けを迎えてしまった。
吠え声のことは、次回にさせていただきたい。

で、なによりもまず――
あけましておめでとうございます。ユーリは元気です。私はそのぶん元気が削がれています。

日記の更新が滞っている短い間にユーリの体重は17kgに達している。
一方で乳歯がボロボロとこぼれ落ちるように抜けている。昨日1本、今日もまた1本……と。
いったいどういう体の仕組みになっているのだろうか。

これほどのめざましい変化が起こっていても、いつも身近に暮らしていると、案外とそれに気づかないものだが、数日前、庭でユーリを遊ばせていたら、家内が少し驚いたように言った。
「きれいな子になったねー」
そのとおりだった。私も思わず見惚れていた。
ユーリは何も考えず、ただそこにすっくと立っているだけだが、それだけであたりを払うような気高い美しさが感じられた。
内緒で付け加えると、動くユーリは悪事の連続だから、私たちの心はいっときも安まらず、黙って立っているユーリがなおさら美しく感じるのである。



こんなに美しいのに、こんなにワルとは、神サマもなかなか憎いことをいたすものである。
2011年01月01日(土) No.96