俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

人間的あまりに人間的




――と、昨日の日記にはしかつめらしいことを書いたが、じつはあそこには仕掛けがあった。
賢明なる諸氏はお気づきかもしれないが、昨日の日記、1枚目のテツの表情がパッと明るく輝いている写真と、2枚目のテツの顔がどんより不安に覆われている写真は、同じレンズでほぼ同じ距離から撮られている。

え、テツは人が離れると不安顔になるんじゃなかったの?

だから仕掛けがあると申しあげた。
1枚目の写真を撮った場所は、テツと私が散歩でほぼ毎日のように訪れる場所であり、ここで何回かリードをつないで撮影したことがある。
さらにこのときは、いったん遠く離れてから、声をかけて、テツのところに戻りながら写したのである。

2枚目の写真は、散歩で何回か訪れた場所ではあるが、ここでリードをつないで撮影したことは一度もない。

3枚目と4枚目の写真は、はじめての公園に車で出かけて撮影したものだ。

この事実は、テツの不安は「未知」への恐れと密接に結びついていること。そして、テツも学習と経験を積めば不安は克服できるのだと教えていないだろうか。

つまり、私たち人間と同じなのだ。
私たちは他人の話を聞いたり、事前に本やネットで情報を得て、未知をある程度既知に変える心の準備ができる。本当に未知の経験に出会うことは、めったにない。
あまり意識していないかもしれないが、自分の経験則から判断できない事態に出会うと、多くの人は思考停止に陥ったり、不安で固まったり、慌てふためくのである。

私ははじめてパスモ(SUICAの私鉄版)のチャージをしたとき、自動チャージ機の使用法がまったくわからず、慌てて、やみくもにタッチパネルを押した結果、紙幣挿入口から入れた1万円をまるまるチャージされてしまい、「使い切らないうちに絶対に(パスモカードを)なくすよ」と家内に断言された。



テツは本を読まないし、ネットで検索しない、私の話もまったく聞かないから、自らの直接的経験しかよりどころは持っていない。
不安で胸をいっぱいにしているテツを見ると、私はむしろ人間的な親近感を覚える。
2009年12月30日(水) No.64

弱い心




しばらくぶりにテツのことを書こうと思う。当たり前だ、これはテツの預かり日記なのだから。テツ、すまんことでした。

しかしこの間、じつは薄紙1枚ずつ剥がれていくようにゆっくりとではあるけれども、テツの日常の問題点は解消されていっている。
留守番も心配なくできるようになったし、その間の盗み食いも影をひそめた。
「しまった、パンを出しっぱなしにしてた!」と不安ながらに帰宅しても、何も起こっていない。
夜はたいていの場合、テツひとりで寝場所を見つけて勝手に寝ることができるようになった。
ヒンヒンと後追いする日もまれにあるが、そういうときも私の寝室の扉の前で寝ている。
私がソファで寝ることもほとんどなくなった。

ただ、これは言っておかなければならない。こうしたささやかな前進も、半年以上にわたって人との生活が安定的に続いているからこそ可能になったのだと。
環境が大きく変われば、また振り出しに戻るかもしれない。その可能性が高いだろう。

失敗に終わったトライアル先の奥方(=テツのストーキングの対象となった)と私で意見の一致をみたのは、「テツには弱さがある」ということだった。
募集欄の文章に「雛(ひな)のような怯え」とあるのは、決して修辞的誇張などではない。
テツは人と離れるのを異様に恐れる。
私は最初これを一過性の分離不安だと考えていた。
センターに収容された子の多くがそうした様子を見せるが、時間の経過とともに薄れていく。2週間から、長くても2か月ぐらいで分離不安は解消に向かう。
だが、テツは半年を過ぎても、基本的には変わっていない。



私ひとりでテツを広い公園に連れていくと、テツは片時も私のそばを離れようとしない。カメラでテツの全身像を収められるほどの距離(2メートル程度)をおくのはほとんど困難である。
上の写真は、散歩中にテツをリードで固定して、望遠レンズで数メートル先から写したものだ。
テツの表情には激しい懸念があらわれている。

次にあげた2枚は、広い公園でテツをつなぎ、10メートル以上離れて撮影したものだ。
しばらくすると「こらー、行くなー!」とガンガン吠えだし、次にはリードをぶっちぎってでも全力で私のところに駆け戻ろうとする。その懸命な表情は、胸に迫るものがある。
あとになって、このときのテツのバカ力でリードが壊れかけていることに気づいた。





テツのこうした不安はどこからきているのだろうか。
いったいテツの過去に何があったというのだろう。
2009年12月29日(火) No.63

ピッポの恩返し


ピッポと数日暮らしてピッポのことが好きになるにつれ、すっかり心の武装解除が進んでしまった。

幼児の面倒を見るときにたいせつなのは、他の仕事をしていてもかならず、注意力の何パーセントかは幼児の行動にふり向けておかなければならない点だろう。
短い時間であっても、他のことに100パーセント没頭してしまうと、たいへんな事態を招くことがある。

子犬も同じだと思う。
つねに視野の片隅と脳味噌の一角に子犬の存在を意識しておくこと。これを忘れるとイタい目にあう。



ピッポに対する警戒心が緩んだ結果、ある夜、私はちょっとばかり酒を過ごしたのである。
気がついたらソファの上でうたた寝していた。
目が覚めたときには、1時間半が経過していた。家族全員はとっくに自室に戻って寝ているらしかった。
反射的にピッポの姿を目で追うと、楽しそうに私の近くの床を歩いていた。
なぜかホッとしたのを覚えている。

喉の渇きを覚えたので水を飲み、頭を少しだけすっきりさせてから、パソコンのある私の「作業場」に入った。
正確には、入ろうとした、である。
部屋の前で私は呆然と立ちつくした。

目の前には大惨状が広がっていた。
隅に積んであった書類やプラスチックフォルダ、雑誌の類が床いっぱいに散乱し、その上に排便され、小水が振りかけてあって、その全部が完全にシャッフルされて平らに整地されているのだった。
ごていねいに、糞をスタンプ代わりにした犬の足跡も点々としている。
私は思わず部屋のドアを閉めた。

ピッポをサークルに入れると、まだアルコールの抜けていない頭で、これが何かの間違いであることを願いながら、私はよろよろと寝室に歩いて、そのまま布団をかぶって寝た。

翌朝、事態は何ひとつ変わっていなかった。
いや、悪くなっていた。便が硬化して、床板と紙、紙と紙、紙とフォルダをつなぐニカワのようになっていた。
ドアを開けっ放しにして酔ってだらしなく寝こんだ自分を深く呪ったが、すでに手遅れだった。

泣けるものなら泣きたかった。
幸い、汚れた書類の類にロクなものはなかった(と自分に言いきかせた)。
いちばん厄介だったのは、空のビニールフォルダにかかった小水だった。
外側を拭けば、一見、原状回復する。が、フォルダの中に侵入した液体は、1か月以上たってもそのままだった。いつまでも乾かないのだ。
1枚ずつフォルダを開いて除菌アルコールを吹きかけ、ていねいに拭うしかなかった。1か月後に気づいて、であるが。

ピッポを叱ってもムダなので、いっさい叱らなかったが、この日から、私はピッポが前ほど大好きでなくなった気がする。


▲モンスターズ――右がピッポ、左がジュリア

後日、この話をPerroのベテランボランティアにすると、間髪をおかず、
「当たり前だよ。子犬から目を離すほうが悪いんだよ」
いつもながら励まされるお言葉だった。
2009年12月27日(日) No.62

ピッポの遊び




「トラジと迷う。でも最後にはピッポかなぁ……」

「自分が飼うとしたら、どの子を選ぶ?」と問うと、迷いながらも家内はピッポに指を折った。
ここでピッポのコンペティターとなるのは、兄弟姉妹のなかでトラジ、小太郎、ジュリアの3頭。
ハル(♂)はわが家で過ごさなかったし、プリン(♀)はこの時点でまだ骨折が癒えていなかったから同じ土俵にのせることはできなかった。

私?
やはりさんざん迷った末に、小太郎かジュリアのどちらかを選ぶに違いないと思った。マゾ気味なのかもしれない。
しかしピッポという家内の選択には、私も肯(うなず)けた。いや、家内がトラジを選べば、それはそれで肯ける選択だと思ったろうが。

「知情意のバランス」といえばオーバーにすぎるかもしれないが、ピッポにはそれが備わっているように感じた。
だからといってこぢんまりとまとまっているわけではない。
器としては大きく、ときとして右に左に大きくはみ出ようとする力に圧倒されたとしても、船底竜骨から長いスタビライザー(安定板)の伸びたヨットのように、ある均衡状態に自然に回復しようとする力(自己安定性)を誰よりももっていたように思う。



私はピッポの遊び方に感心したことがある。
スープストックをとった後の牛骨をしゃぶりつくすと、子犬たちはそれをオモチャにして、囓ったり放り投げたりして遊ぶ。
ピッポは、ツルツルになった小さな牛骨を、家具のスチール製脚部の隙間にコツンと落とすのだった。
そうして、その狭い隙間から手を差し入れて、牛骨をとり出そうとする。
何度もその遊びを繰り返した。
ピッポはわざと困難な状況をつくって、それに挑戦するのを楽しんでいるのである。
人間の2歳児よりずっと上等ではないか。

わが家におけるピッポの評価は日に日に高くなっていった。
それと比例して、私の心に入りこむ油断の量も増えていったのである。
2009年12月25日(金) No.61

ジュリアとピッポ――ピッポ純情なり



▲手前のオレンジの首輪がジュリア、奥がピッポ

6頭のなかでピッポは目立たない存在だった。

被毛の黒い子が3頭産まれた。
不平屋で活発なジュリアが飛び抜けて個性的だったため、同様に黒い被毛をもつ男の子2頭——ピッポとハルは、どうしても印象が薄くなってしまった。
胸の白いワンポイントでかろうじてピッポをハルと区別することができた。

その2頭の募集コメントには「中庸の気性」なんていう苦しまぎれの表現をつかった。
生後4か月になったピッポを短期間預かったとき、意外とこの言葉が正鵠(せいこく)を射ていたことを知った。

ピッポは(そしておそらくハルも)、ラブ的活動性や傍若無人と、繊細さがほどよい次元で調和しているのではないかと思う。
ピッポはその気になれば十分すぎるほどの暴れん坊である。
であっても、火の玉と化したときの小太郎や、無限エネルギー+女狐的奸智のジュリアと比べれば、どこかに自らをひきとめる静的な力の存在を感じさせることがある。
トラジのような不安症からも離れている。

ピッポは非常な遊び好きだった。
たびたび私に挑みかかり、唸り声をあげながら、ガブガブと甘噛み攻撃をしかけてくる。そのしつこさに、辟易することも少なくなかった。
ジュリアが加わると、ピッポの格闘ごっこの対象は私からジュリアに変わった。



いつでもどこでも、執拗に、唸り声とともにジュリアに飛びかかっていくピッポ。ジュリアは逃げながら機を見て反撃する。しばらくそうした構図が続いてから、「ギャィン!」という悲鳴がかならず聞こえた。
「ピッポ、いい加減にしろよ。ジュリアがイヤがってるじゃないか」
そう言って2頭を引き離した。ピッポはすぐまたジュリアに飛びかかっていく。

何度も何度もそんな光景が繰り返された。
ある瞬間、私はたいへんな思い違いをしていたことに気づいた。
悲鳴はピッポのものだったのだ。

2頭が格闘している最中の連続写真を撮ると、その様子がハッキリわかる。
飛びかかっていくピッポは、まったくジュリアに歯を当てていない。
思いきり相手の「急所」を噛んでいるのは、つねにジュリアのほうである。


▲ジュリアの容赦ない攻撃がピッポの首筋にヒット

悲鳴をあげるほど痛い目にあいながら、ピッポは嬉しそうに何度も何度もジュリアに挑んでいく。
ジュリア姉ちゃんに遊んでもらうのが楽しくてならないのだ。
純情なり、ピッポ。
2009年12月02日(水) No.60