俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

テツの謎(3)


よく知られた話ではあるが、ラブのもとをたどれば、レトリーブ(retrieve=回収する)に適化された鳥猟犬だ。
ハンターが撃ち落とした獲物の鳥を口にくわえて、ハンターの手元まで運ぶ。獲物を自分の歯で傷つけないよう、細心確実に回収する仕事である。犬の佐川急便といったところか。

私を含むたいていの人間は自分の仕事をするのがあまり好きでない。仕事のストレスを酒で発散したり、日曜日の夜には具合の悪くなったりする人も散見されるのに、ラブは仕事をするのが大好きである。仕事自体がストレス発散になるからアルコールも必要ない。

本能の近くに刷りこまれたこの能力を利用して、新聞受けから朝刊を取ってこさせるラブの飼い主さんもある。ラブは嬉々としてこの用を果たす。
ときどき、得意げに口にマナーポーチをくわえて散歩するラブがいる。
私は生まれてはじめてその光景を見たとき、近所になんという名犬がいるのだろうかと驚嘆したものだが、あれはラブにとっては自らに強制するものではなく、ごく自然に近い行為だった。



テツもラブの名に恥じず、何かをくわえて運ぶのが大好きである。
まず、足拭き用のタオルを片端からくわえて、自分の巣(ドッグベッド)に運んだ。テツにコレクター趣味があるとは知らなかったが、次には息子の足袋(たび)ソックス収集を開始しているところを見ると、コレクターというのが高い趣味の持ち主とはかぎらないのは、人間と同じである。

散歩に行くときは、興奮と嬉しさで、ついリードをくわえてしまう。
「持て」と命じれば「合点承知」と欣喜雀躍してリードをくわえて庭に飛びだしていくが、じつは命じなくてもくわえるのである。

ラブと暮らすとき、この特質を上手に利用すれば、お互い愉快に、有意義な(?)人生を生きることができる。
たとえば、ボールを投げてラブに回収させ、また投げる。私は楽で、犬は楽しい。私は動かず、犬の運動になる。
だが、テツにはそうした遊びを経験した痕跡がなかった。
ボールを追いかけてはいくのだが、そのまま手ぶらで帰ってくる。ボールをくわえるようになると、今度は戻ってこない。ようやく、くわえて戻ってくるようになると、今度は渡さない。
はて……?
2009年08月28日(金) No.42

テツの謎(2)




当たり前のことだが、犬には一緒に暮らした飼い主の痕跡が残る。
天衣無縫に見えるテツも、注意深く見れば、じつは大きく前の飼育環境の影響を受けていることがわかる。
いやそれどころか、鋭敏に人に感応するラブは、飼い主を映しだす鏡といってもいいぐらいだ。

喜ぶテツは、人のまわりでピョンピョンはね飛ぶが、そのときにほとんど人の身体に飛びつくことをしない。
ピンポイントの抑制がはたらく。
ちょうどそれは、訓練士がヒザを上げて飛びついてくる犬の胸に当てる矯正法――飛びつくと不快な思いをするんだナと犬に覚えこませる、あのシツケ法の結果を眼前に見ているようですらある。
同様に、甘噛みもそこそこ抑制されている。
脚側歩行しかり。
前の飼い主が「ここは直してほしい」と注文し、プロの訓練士が部分部分にパッチをあてたらこうなるのではないかと思えるようなアンバイである。

しかし一方で、ラブやゴールデンなどレトリーブ系の犬特有の「モノに対する執着」への配慮はまったく払われていなかった。
レトリーブ系犬種のシツケのキモといってもいいことなのに、である。

テツは、これほどのお人善しの人好きなのに、大事なモノをくわえているときに手を伸ばすと唸り声をあげた。
私はしばらくそのことに気づかなかった。
テツを引きだして間もないころ、数時間のショートステイをお願いしたお宅から報告があった。
そのときテツが執着したのはピーピーと音のでる小さなボールだった。
私は半信半疑だった。
フードを食べているときに、食餌皿に手を入れても無反応だったし、それまで一緒に暮らしていてテツは唸り声ひとつあげなかった。だいいち、そんな天晴れな気概がコイツにあるとは思えなかった。

もしかしたら、テツにとって魅力的なモノがわが家になかったためなのかもしれないと考え、ブイヨンをとった後の牛骨を与えてテストをした。
驚いたことに、たしかに唸り声をあげたのだ。あのテツが。
2009年08月19日(水) No.41

テツの謎(1)




「こら、そこの兄ちゃん、その鼻を引っこめないと怒るよ!」
冷蔵庫に食材を出し入れしている家内のジャマをして、テツが叱られている。
テツはキッチンのどんな細かな動きも気になってしかたがないらしい。

……じつは私にもずっと気にかかっていることがある。

どういうわけで前の飼い主は、いまのいまになってテツを見捨てたのだろうか。
それがわからない。
乱脈パワーの大型犬を見捨てる理由が山ほどあるだろうことは容易に想像できる。
しかし、いったいなぜ、いまなのか。

ラブの悪魔期――途方もなく手のかかる困難で厄介な時期からは、テツは九分九厘抜け出しかかっている。
もうほんの少しのところまできているのだ。
その先には、比類なく素晴らしいラブの黄金期が待っている。
険しい北壁を苦心惨憺して登りきり、ようやく陽のあたるゆるやかな尾根道が見えてきたところで、誰が山登りを断念するだろうか。

前の飼い主がテツにまったく手をかけていなかったのならともかく、それなりに苦労してシツケを入れているのは明らかだ。
最初にセンターで気づいたとおり、飛びつきと甘噛みはかなり抑制されている。
スワレ、フセ、マテもできる。
散歩時の脚側歩行もまずまずのところまできている。
ここまでの苦労に比べれば、これから先は何ほどのこともあるまい。

そういえば、もうひとつ腑に落ちない点がある。
シツケの入り方が、斑(まだら)なのだ。
疑いの目で全体を眺めると、テツの振る舞いはどことなく、パッチをあてたツギハギ細工に見えてくる。
2009年08月16日(日) No.40

大頭


テツの巨大な頭と暮らしているうちに、すっかり私の直感的構図バランスが崩れてしまったらしい。
どのワンコを見ても、頭の小さな子に見えるようになった。
その話を家内にすると、得たりとばかり言った。
「あなたの頭も小さく見えるようになったわよ」

この大きな頭をテツは休みなく働かせているに違いない。
私が家の中を歩くとき、すぐ背後について、頭で後ろからぐいぐい私のヒザの裏側を押すのは、どちらかというと副業的な働きであって、いつもはこの頭をつかって何かよけいなことを考えている。

テツの頭のなかの多くを占めているのは、おそらく「人」だと思う。それを除けば「食」と「遊」だけといっていいだろう。



テツの感情(ほとんど喜びだけで構成される)の起伏は、家庭内の人間の数に単線的に比例する。
外出していた家族が帰ってくると大喜びで出迎え、すぐに私のところにダッシュで戻ってきて、腕をくわえる(甘噛みではない。歯が当たらぬよう、ヨダレだけがかかるように上手にくわえる)。
「帰ってきたよ。嬉しい、嬉しい、嬉しいね!」と。
2人の家族が続けて帰ってきたりすると、もう喜びで大きな頭が飽和したのではないかと思うくらいのはしゃぎようだ。
全力で私のところに駆け戻ってくると、飛びかかって腕をくわえる。そしてまたすぐに帰宅した人のところに走り去る。

家族がフルメーンバーに集えば、その輪のなかで誰よりも嬉しそうにしているのはテツだ。息子の表情と好対照である。
その逆に、家族が次々と外出していくと、テツの元気はみるみる失われていく。ときには見送りのときに哀切に絶叫することもある。

必然的に、人間観察の達人である。
悪事(比喩的な表現であって、犬にとっては決して悪事ではない)をいたす場合も、じつによく人を見ている。
盗み食いも、もちろん家族が留守中におこなうのだが、この場合、息子が在宅しても不在と見なされる。

センターからはじめてわが家にやってきた日、テツはマーキングしなかった。
あ、コイツは大丈夫なんだと気を緩めた2日目に、人の目を盗んできちんとわが家の南北2か所にマーキングしていた。

テツはいつも人を気にかけている。
私がいちばん好きなテツの表情は、少しだけ離れた場所からこちらをじっと見ているテツに、「おう、テツ!」と声をかけたときにあらわれる。
それまでの集中と微妙な緊張が私の声でカタンと外れ、耳を含めた顔の造作すべてが喜色でハの字に緩む。直後にテツはシッポと腰を振りながら私に向かってやってくる。
2009年08月14日(金) No.39

作業犬



▲やっと晴れた

以前、私は次のように書いている。
私が思うに、ラブ(テツ)の世界は小さな環を形成している。
その環は、人がそのしかるべき位置に嵌(はま)ってはじめて完全なものとなる。

これ、間違っていました。すみません。
私が青かった。
正しくはこう書くべきでした。
私が思うに、ラブ(テツ)の世界は小さな環を形成している。
その環は、人と食(盗み食い)がそのしかるべき位置に嵌(はま)ってはじめて完全なものとなる。

最初の盗み食いのときに、神奈川コパン(神奈川支部)の代表者格がその先を予見するように話していた。
「食べ物を手が届きにくいところに置いたりするのはよけいダメだよ」

「わかっている」と返事したが、根本的なところで私はわかっていなかった。
テツにおいては、いやテツを類型とするラブにおいては、盗み食いをおこなうのに能力の出し惜しみをいっさいしない。通常の家庭では、盗み食いではじめてその秘められた能力を全開するといってもいいくらいだ。
デヘデヘとへりくだったり、だらしなく昼寝ばかりしているからといって、テツが遺伝的に獲得した能力を甘く見てはいけなかった。
テツの意識下では、野生動物が生存をかけて食の獲得に全知全能を傾けるのと、ほとんど同じことをしているのだ。このわが家で。

ラブが卓越しているのは、フレンドリーなところだけではない。
目的に向かうときの集中力、困難を乗り越えるタフネス(ある意味の図太さだね)、知力と体力。
そうしたものが他の犬種にも増して備わっているからこそ、捜索犬、麻薬探査犬、作業犬として重用されるのだろう。

その能力は困難にあたればあたるほど、真価を発揮する。
「手が届きにくいところ」に置かれれば、届くようにありとあらゆる能力を傾注し、結局は手を届かせるのだ。
ハンパな隠し方をするのは、隠さないよりさらに事態を悪くする。

おおむね現在にいたるまで、盗み食いに使用されたテツの能力と意志は、私の(食べ物を隠匿する)能力と意志を上回っていると判断できる。
家を空けるたびに発生する、タッパウェアに入っていたドライトマトが床に散乱していたり(お口に合わなかったらしい)、バナナが房ごと消えたり、手作りクッキーが袋だけ残して消えるといった超常現象の背後からは、テツの上機嫌なハミングが聞こえる気がする。

(私と家内の脳味噌とキッチンの)構造上、わが家で完璧に食べ物を秘匿するのは難しいが、そんなこといっている場合ではない。
冷蔵庫の上、食器棚の上……など、ホコリまみれの遊休地の活用が必要となった。
序盤の予想外の劣勢をはね返し、テツとの知恵比べに勝って、盗み食いへの意欲を根から挫く必要がある。
本気出す。明日からは。
2009年08月14日(金) No.38

因果関係




テツは排泄に失敗したことがない。
わが家で暮らしはじめて2日目に(初日でないところに注目していただきたい)、意図的に2か所に排泄した以外は、一度も粗相というものをしたことがなかった。
だから、蛇口の壊れた水道管のようなジャジャ漏れ3連打には首をひねらざるをえなかった。

呆然と頭をめぐらしているうちに、
「まさかアレか……」
突然、床に転がっていた空鍋とテツの大量失禁が私の頭のなかで結びついたのだった。

私はすっかり忘れていたのだが、コトの前日、わが家ではベトナム・フォーを食した。
その際、具となる鶏胸肉を水煮していた。
ゆで汁は捨てずに鍋に残しておいた(別に鶏スープを煮だしてあったので、つかう必要がなかった)。
少なくとも1リットルから1.5リットルはあっただろう。

それが消えていたのだった。
あまりにもみごとに。
鍋にも、周囲の床にも、そこにかつて液体が存在したことを証明する痕跡の半滴すら残っていなかった。
私自身、中身があったことをコロリと失念したほどである。

あまり想像したくないのだが、おそらくこういうことが起こったのだろう。
あちこち食べ物をあさったテツは、ガスレンジに行きついた。
そこに置かれていた鍋をゆで汁ごとひっくり返し(事後検証してみたが、鍋に鼻先を突っこむことは難しい高さだった)、鍋と周囲にこぼれた大量の液体を丹念になめきったのである。
つまり、きれいに乾いているように見えた鍋と床は、乾燥したテツの唾液でくまなく覆われていた――と。

私が入念に鍋を洗い直したのはいうまでもない。
2009年08月13日(木) No.37

「排水」の陣




3時間ほど留守番をさせた後、帰宅してドアを開けたときに私の頭にあったのは、破壊された家具の一覧リストの長い列だった。
ところが、まったく破壊の跡はなかった。
破壊の「は」の字すら見当たらない。

だから盗み食い程度ですんだことに内心ホッとしていた。
サンドイッチパンを盗み食いした?
それがどうだっていうんだ。大したことないじゃないか、と。
そのときの私は気づかなかったのだ。盗み食いの長いリストが書かれるのは、これからだった。

次にまたテツに4時間ほど留守番をさせた。
今回は私も盗み食いに気をつかった。
パンの類は冷蔵庫の上に載せたし、テツの手の届くところに魅力的な食べ物はないはずだった。

帰宅すると、床に空の鍋が落ちていた。鍋の周囲は乾いていた。
おお、なんにも盗み食いするものがないから、レンジの上にあった空っぽの鍋をひっくり返したのか。哀れなヤツ。
そう考えて、鍋を元の位置に戻した。秋の空のような心で何ひとつ疑わなかった。


▲落ちた鍋、再現画像

それから2時間ほどたったころだろうか。
「あー、誰かオシッコしてる」と家内の声がした。
玄関のタタキが濡れていた。
このところ、老化のために先住犬にことさらオシッコのこらえ性がなくなっていた。以前はあれほど潔癖だった排泄にしばしば失敗するようになっていた。
だから、先住犬がガマンできずにやったのだろうと考えた。
「かわいそうにね」と話しながら、きれいに水で流した。

30分後、私が玄関を通ると、タタキに立っているテツと目があった。「別にぃ」という表情だった。
なにげに視線を下ろすと、テツの下半身から放出された液体が、いままさに、息子が最近購入したバスケットシューズに降り注いでいた。
「ナニやってんだ!」と思わず声が出た。
まずバスケットシューズを救出すると、テツの首輪をつかんで玄関から外に出した。
テツは庭に出て長々と放出を続けていた。
さては……この前の小水もテツの仕業だったか。

1時間もしないうちに、テツの3回目の放出劇に、またしても私が立ち会うことになった。
今度は玄関を上がった廊下のところで排水を開始していた。
テツは前回の経験で、タタキで小をしてはいけないと学んだらしい。(テツはすべてのことを半分ずつ間違った方向に学習する傾向がある)
やはり「別にぃ」という表情だった。溜まったから出してるだけヨ、と。
出し切るまで、なすすべもなかった。
かくして、わが家の観測史上最高の出水量が記録された。
コイツ、排水管がぶっこわれたのか!?

そこにいたってはじめて、テツのただならぬ排出量と空っぽの鍋の関係に思いいたったのである。
2009年08月12日(水) No.36

惨事への扉




テツに留守番させるときに、私の脳裏をかすめたのは、以前に見た1枚の衝撃的な写真だった。
室内に1頭の黒ラブと、散乱した材木片が写っている。
黒ラブを飼っているご夫婦が外出から帰ると、家の引き戸が1枚消え、代わりに粉砕された木くずが床に散乱していた。
破壊現場の前で黒ラブは、「誰だろうね、こんなひどいことしたのは」と素知らぬ顔をして写っている。

ラブには「ハウス・ブレーカー」の異名がある。
若いラブに長時間の留守番をさせるのは「さあ、家を壊してください」とけしかけるようなものだという。
テツは大丈夫だろうかと、今度は私のほうが分離不安にかかりそうだった。
凶相で吠えかかっていたセンターの姿が思いだされた。
置き去りにされたテツは荒れに荒れ、破壊衝動を発揮するのではないか……。

その心配が盗み食いへの徹底的な配慮を頭から追いやろうとしていた。

それに――告白するが、一方で、もしかしたらテツは、私と別れて独りぼっちで留守番することに悲嘆して、ずっとうなだれて、悄然(しょうぜん)と過ごすのではないか。などという愚かな考えもちらりと頭をかすめた。
犬の行動を人間的思考になぞらえるのは、典型的なディズニー映画的誤断、誤解であるけれども、ラブがあまりに人間的だったため、私もつい、この罠に落ちたのだった。

もちろんテツはそのような筋道では思考しない。
次に起こったのは、わが家にとっては小さな惨事といっていい部類の一連のできごとだった。
2009年08月09日(日) No.35

最初の疑惑


「あー、こんなことしてる。テツでしょ!」
家内がテツに怒るフリをして私を叱る。
呆然と手にしているのは、ぐちゃぐちゃっと正体なく潰れたビニールだった。
その本来の姿を私は知っている。台形を2つつなげたようなかたちをしたサンドイッチ用薄切りパンの包装パックである。
もちろん、最後に私たちが目撃したときには、中身のサンドイッチパンも入っていた。



3時間ほど留守にした後、こうなっていた。
テツだ。盗み食いをおこなったのだ。
付け加えるなら、私たちの気づいた最初の盗み食いを。

「留守している間に、テツがキッチンテーブルに置いてあったパンを食べちゃったんだよ。包装パックを食い破って」
そう一件を報告すると、Perroの代表者は言った。
「食べられるものを置いておくのが悪いんですよ」
神奈川コパン(Perro神奈川支部)の代表者格に同じ話をすると――
「食べられるところに置いとくのが悪いんだよ」

相手に対する敬意の有無や言葉づかいの良し悪しを除けば、言っていることは奇妙に同じだ。
お前が悪い、と。
やっぱりねえ。ハナから共感や同情の言葉は期待できないと思ってましたけど。
皆さんにもお知らせしておくが、筋金入りの犬飼いとはこういうものだ。
犬の飼育について、めったなことではおやすい同情はいただけない。
そして、もっと残念なことには、彼女らの言葉はじつに正しい。
とれるところに置いておく人間が悪いのだ。犬の本能は、食べ物をとるように命じるのだから。

それは私も知っていた。
しかしテツを置いて出かけるとき、私の頭にあったのは別の心配だった。


薄切りサンドイッチパンのオリジナルのかたち
2009年08月08日(土) No.34

暗闘


次にはじまったものは――
バトルだった。果てしない暗闘。

2頭がひたすら絡みあって、相手にむしゃぶりつき、歯を剥き、押さえつけ、払いのけ、また跳びかかる。
それがサイレント映画のように無音でおこなわれる。
ハアハアという荒い息づかいに、ときどきキャーンというくぐもった悲鳴のような抗議のような鳴き声がまじる。
エンドレスでそれが続く。


▲テツの表情はセンターで吠えかかっていたときのそれ。闘いはスタンディングスタイルではなく寝技中心

まわりのものに当たろうが倒そうがまるで頓着せずで、はた迷惑このうえないのだが、しかし、闘いに我を忘れて暴走の本気バトル――というふうにはならない。
2頭のあいだには暗黙の絶対的なルールが存在するかのようである。

マズルにシワを寄せた恐ろしげな表情でしかけていくのはテツのほうであり、よく見ていると、闘いの枠を設定しているのもテツのほうだった。
ごくたまに、痛みを感じてか、プリンがギャンと吠え声をあげてテツに半ば本気噛みで向かうことがあるが、そういうのも上手にいなしている。
自分の大好きなロープをくわえて、プリンの前でそしらぬ顔でブラブラさせて、遊びに誘うのもテツである。
モノに対する執着がわりと強いテツが(この件についてはあらためて書く)、自分のオモチャのロープで遊んであげているのを見て、少し驚いた。
「テツって、いいヤツだなあ」
と、うっかり半分くらい思う。


相似の第3形態——対称型

あれほど「ボクって分離不安。アンタが命」とストーキングに励んでいるくせに、プリンとの闘い遊びになると、呼ぼうが叫ぼうが決して来やしない。
かなり勝手な分離不安である。

10分、20分とエンドレスでこの不気味な闘いが続くのは、さすがに不安になる。
だいいち私のウチは動物園の猿山ではない。プリンの脚のこともあるので、適当なところで終わらせなければと思う。
オヤツで釣って、2頭を引き離して別室に隔離する。
すると、テツはたちまち床に横になって、ぜいぜいと胸を波打たせる。目もつぶって苦しげですらある。
テツにとっては体力的にいっぱいいっぱいらしいのだが、対するプリンは隣室で「もっと遊ぼ」と鼻を鳴らしている。
子犬と地頭(じとう)には勝てぬのか、テツですら。


*ふたたび一緒にすると、またバトルが再開される。バカも休み休みにしてほしい。
2009年08月07日(金) No.33

似て非ならざるもの




プリンという名前がついている申込番号116のラブMIX♀が1泊していった。
まだ7か月足らずの子どもだ。
母親が黒ラブ(おそらく)、父親が和犬系MIXという両親から6頭の子が産まれ、それぞれがラブと和犬の血をもっているわけだが、特徴にあらわれた配合比はどの子も異なるように見えた。それについては機会があれば触れようと思う。

プリンは6頭のなかでは外見的にラブ色の強いほうではない。
角度によっては、いったいどこにラブの血が入ってるのかと見えるときもある。
それでも一度、預かり宅の先住犬・黄ラブとプリンが一緒にいるのを見て、私はラブ親子と見間違えたことがある。ぶら下がっている迷子札で、はじめてプリンだと気づいた。
「なんだプリンだったのか。なんでここにいるの?」

性格的には、MIX特有の柔らかさがうまい具合にブレンドされて、ラブの子犬・若犬よりはるかに扱いやすい子になったようだ。
ラブ的なバカも薄く、同時にラブ的な闊達(かったつ)もやや薄い。
ただ根の陽性は健在で、骨折のため長い期間にわたってガマンを強いられたにもかかわらず、それが性格に影を落としているようなことはない。

テツは「わが家」にプリンを迎えて激しく興奮した。
何を思ったか、プレイボウの姿勢(頭を下げて腰を高くする)から垂直ジャンプをおこない、その後に激しく吠え、プリンをビビらせる。
私から見ても、テツの行動は完全に意味不明である。仲よくしたいのか、自分の力を誇示したいのか、遊びたいのか、追い出したいのか、いったい何をしたいのか、例によって常軌を逸してすべて謎である。

しかし2、3時間もかからないうちに、どこでどうしてそうなったのかは知らぬが、この2頭は互いの距離を縮めていた。
気がつけば、何をするにも一緒状態である。
テツが伏せれば、プリンはテツに身体を接して伏せ、テツが寝れば、プリンも身体を接して寝る。
そういうときに2頭のとる姿勢。それがまるで相似形なのに私は笑った。
やっぱりラブの血は争えない。


テツとプリンの第1形態——対向型


テツとプリンの第2形態——直列型
2009年08月06日(木) No.32

テツがいっぱい


またしても横道に話が逸れてしまうが、ブリードレスキューまたは単犬種レスキューと呼ばれる団体の存在をご存じだろうか。
もっぱら特定の純血種の救援をおこなう。
ラブにとって幸いなことに、そうしたラブ専門のレスキュー団体がある。

その
団体のホームページには、飼い主を募集するラブたちの写真が掲載されている。
掲載されているラブの来歴は多様だ。
各地のセンターで収容されていたラブ、飼い主の飼育困難、迷子の保護……。
テツと見間違える顔も少なくない。
テツがいっぱいで、それだけで心がざわめいてしまう。

テツの同類がこれだけの数、新しい飼い主を探しているという事実があり、同時に、これだけの数のラブを一時的な飼い主として預かってくれる心ある人が存在しているという事実もある。
暗さと明るさ、絶望と希望が、ないまぜに押し寄せてくる。



世の万物それぞれにケチをつける人間がそれぞれ存在するように、単犬種レスキューに対する偏見も存在する。
ベテランと呼ばれる域にあるボランティアさんのなかにさえ、そうした偏見が少なくないのは残念なことだと思う。

ラブのブリードレスキュー団体についていえば、ラブに対する情熱と強い責任感を共有するメンバーの手によって、センターに収容されたラブを能力の及ぶかぎり――能力を超えても――救けようとしている。
ラブは決して見捨てないという決意で。
高齢であっても、多少の問題行動が見受けられるようであっても、健康状態が万全でなくとも、だ。
そして周囲からもまたそれを期待される。

これだけパワーのある大型犬でそれをおこなうのがいかに困難か、私のようなものにも想像できなくはない。
実際、経済的逼迫によって、最近の一時期、この団体の活動が停滞したこともあったようだ。

むしろ私たちのように、自分たちのときどきの余力を見ながら犬種横断的に犬を引きだしていくほうが、はるかに楽な場合が少なくないだろう。
いやもちろん、別種の苦労はあるにせよ。

ラブの飼い主さんになりたいと思うのであれば、ぜひ、ブリードレスキューからの譲渡も選択肢に入れていただきたいと思う。飼い主を探しているラブはテツ以外にもたくさんいる。
2009年08月02日(日) No.31