俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

カンペイはかわいいか





「カンペイは、かわいい子だよ(キリッ」
家内はまるで自分が発見した新事実のようにいう。
ここでいう「かわいい」は、チワワなどの小型犬や子犬を見たときの「おっ、かわいいねえ」などとは意味が違う。

(1)ほとんど手がかからない
(2)無害 
(3)いたらない
(4)弱っちい
(5)思いがけず愛嬌がある
(6)小心

これらを足し合わせた生き物と暮らしたときに生じる感情を総称したものである。

現在のカンペイはほとんど手のかからない子だ。
排泄は鉄板、まったく粗相なしに暮らしている。
盗み食いはほぼ影をひそめた。少なくとも家人(とくに私)の前ではしない。
イタズラは皆無ではないが、「ちょっと噛んでみたよ」というほどのものでしかない。ブラブラ垂れ下がっているリボン、ちょっと飛び出している雑誌の角を思いつきで噛んでみる程度だから、たいした被害にはならないのだ。
散歩の引きは依然としてあるが、ラブ、セッターなどの暴力的な引きと比べれば、これを引きと呼んではバチが当たるんじゃないかと思う。
忍耐強くあり、オープンカフェで1時間以上、自らの存在をほとんど消したステルス状態で人の意味不明の雑談のおともをすることもできる。




さらにいえば足るを知る男である。

○2度の食事
○2度の散歩
○寝る場所(自分で決める)
○家の中の制限付き自由通行権

これで十分なのだ。要求を積み増しすることはまったくない。

あれもこれもという欲はなく、安定した土台の上に安定した日常がつづくことをなによりの喜びとする。
家族と一緒に、昨日と同じ今日が送れれば、それだけで満足なのである。

私の好きな宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節が、そっくりカンペイである。

慾ハナク
決シテ瞋(イカ)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

しかし、ここに至るまでに1か月近くを要したという事実はお話しておかなければならないだろう。
「いったい何ものだよ、お前は」というのが最初の印象だった。
そこから話をはじめようと思う。

2012年06月17日(日) No.134

カンペイに乾杯!




お知らせ――→「名前が変わりました!」

わが家にやってきたときの黒柴の名前は「龍」クンだった。
立派な名前である。
しかし私の感覚では、「りゅう」は(一緒に暮らして性格を知るほど)こいつには過ぎた名前で口に出すのも気恥ずかしく、龍夫(たつお)とか龍也(たつや)、タッちゃんなどと自分流にテキトーに呼んでいた。
ある日、気づいたのである。
換毛期で冬毛が落ち、少ししょぼくれたところが、じつに間寛平ソックリではないか、と。
そのカナツボ眼といい、ちょっと弱ったような無表情のなかの表情といい、そういえばグルグル回って自らの尻尾の付け根を噛むのも「かい〜の」とかいう間寛平の十八番ギャグを柴なりに演じた動作といえなくもない。

そこで、勝手に名前を「カンペイ」に変えさせていただいた。
私としてはずっと呼びやすくなったし、「いい名前だね」といった称賛はたったのひとりからもいただいていないが、しかし実物(犬のほうです)を見た人はみな「似てる〜」と口を揃えてくれる。
黒柴本人は、龍夫からカンペイに変わったことについて、とくに感銘を受けている様子は見えない。

※付け加えると、「カンペイ」はイントネーションを適正化すれば、中国語で「乾杯」を意味する言葉になる。これはもう最高に喜ばしい名前ではないか。「乾杯」「乾杯」って叫びながら、街を散歩しているわけだからね。


この人です
2012年06月11日(月) No.133

柴の作法





先代の預かり犬・ボニーは、センターに収容される以前、ふつうの家庭でふつうに暮らした経験はなかったのだろうと私は考えている。
にもかかわらずボニーはわが家にやってきた初日から、家の中でまったく違和感なく振る舞い、一瞬にしてわが家の暮らしに適応したものだった。
「ご飯」「散歩」など人の言葉を知らないようだったが、2か月もすると完全に覚えて、必要以上に機敏に反応するようになった。
ボニーはほどなく私の行動の先回りをして動くようになった。有能すぎる秘書のように、なぜか私自身より私の次の行動予定を熟知しているのだった。

一方、こちら黒柴男子は、たぶん人からかなりかわいがられて暮らしていたのだろう。行動のはしばしからそれが感じられる。
しかし、ボニーとは対照的に、黒柴は新しい環境に自らをじょうずに適応することがなかった。少なくとも目に見えるようには。(長い時間尺度で見るなら、もちろん適応していっている。ここで書いているのは、あくまで最初の1、2週間の印象でしかない)
比喩的にいえば、繁華街の雑踏のド真ん中で「ここはどこ?」って感じで、ぼーっと突っ立っているオッサンみたいなのである。





直後の印象をいくつかあげると――
まず独創的な感情表現の数々。
初対面の挨拶は、人のお尻の臭いを不作法な熱心さで嗅ぐことだった。
基本的にはポーカーフェイスだが、嬉しくて少しハシャグときには(だと想像するのだが)、だしぬけにパクッと私の膝あたりを噛む。痛いほどではないが、予測ができないこともあって、けっして愉快な経験ではない。反射的に飛び退いてしまう。
呼ぶと、まず来ない。
たとえば散歩に出かけるとき、私がバタバタと散歩の支度をして、「行くぞー、散歩!」と声をかけても、伏せの姿勢でじっと無表情に私を見ている。
ボニーであれば、転がるように走ってきて、私を突き飛ばしながら玄関口に向かうところである。
他方、庭で「自由に遊んでシッコしろー!」とフリーにすると、いつの間にか私のすぐ横に所在なげに立っている。
私に何かしてほしいことがあると、これ以上考えられないほど不器用な動作で上半身を起こし前脚でクイクイっと私の体を掻く。それが予想外に痛いのである。
しかも、それでこの子は何をご所望なのか、最初のうちさっぱりわからなかった。(いまでも完全には解読できていない)

犬に向かってAのボタンを押せば、(A)の反応が返ってくる――という私のこれまでの常識は、まったく通じなかった。
Aのボタンを押しても無反応か、(イ)(ロ)(ハ)なんていう遠く外れた反応が遅れて返ってきて途方に暮れることがあった。

その一方で強く感じるのは、これはまたなんと我々自身の身の丈に合った犬種なんだろうかという安堵とも脱力ともつかない感情である。
たとえばそのサイズ。大きすぎず、かといって小さすぎない。
散歩でどんなに強く引こうが、成人男性ならヒジから下の力だけで対処できるレベルである。
イタズラや破壊行為をおこなったって、タカが知れている。もちろん、これはあくまでもラブなどの洋犬と比べての話だが、そもそも破壊という行為にかける根性が違う。
若く元気な男の子だが、活動的な日課を与えれば体力の底は比較的あっさり割れる。底の見えない体力を持った西洋帰りの連中とは違うのだ。

一緒に歩いていると、「そこの2名、とっても似合う」と家内から太鼓判である。複雑な心境だ。
2012年06月08日(金) No.132

黒柴見参!




さて、柴である。
黒柴の「龍」クンが――唐突にと申しあげてよろしいだろうが――わが家にやってきた。
ちょうど換毛期にあたり、冬毛が盛大に抜け落ちて身体が以前より萎んで見えるうえ、浮き毛があちこちにボソボソと顔をのぞかせており、いくぶんみすぼらしい感じを受ける。
「三丁目の夕陽」時代の乾物屋の店内みたいな、饐(す)えて乾いた体臭がする。
(それと、冬毛に覆われているうちは気づかなかったのだが、毛が落ちて身体の線があらわになると、黒柴にしては少し手足と胴体が長いような気がする。
センターの書類には「柴」と記載されているが、この子は限りなく柴に近いMIXか、あるいは限りなくMIXに近い柴なのだろうと思う。私にとってはどうでもよいことであるが)

この柴については、前の預かりボランティアさんによって詳しい日記が書かれている。まず、そちらをお読みいただいたほうがよいだろう。
http://ramdan.macserver.jp/diary/10/sfs6_diary/

次のような特長があげられているが、一緒に暮らしてみて、実際、ほぼこのとおりのことだった。
○甘えん坊
○遊び好き
○エネルギーを持て余している
○イタズラをする(クッションの破壊など)
○トイレの粗相がある
○散歩の引きが強い
○食卓の上のものに手を出す
○道路などでの拾い食い
○その場回転お尻噛み運動





私が真っ先に感じたのは、ラブの女の子と暮らした後に柴の男の子と生活をともにするのは、異文化に投げこまれるような体験だということだった。
軽い「カルチャーショック」とでもいったらいいだろうか。
縄文人と出会った弥生人みたいに、とにかく、こいつが何を考え、何を望んでいるのかが、さっぱりわからなかった。表情から感情を読みとれないどころか、そもそも表情を見つけるのが難しいのだ。

やがて知ったのだが、最初の私の驚きと困惑は、じつは、この柴が大混乱とパニックに陥っていたのを裏返しに見ていただけのことだった。
環境の変化に適応することが他の何倍も苦手なヤツであった。おそらくその不器用さは、洋犬の飼い主の想像の外だろうと思う。
時間とともに、この子のいい点、悪い点も含めて全体を俯瞰できるようになり、私はようやく日記を書きはじめる気になった。

最後にひとつ付け加えておくが、柴は、たぶん多くの洋犬の飼い主さんがよく知らずに先入観付きで思いこんでいる何倍量もの美点を持っている犬種だと思う。


2012年06月05日(火) No.131

交友録---ユーリ





うえと異なり、ラフ・コリーのユーリとボニーは頻繁に会っていたわけではない。
ユーリのお宅をごく短時間の表敬訪問で訪れたのが1度、ドッグランで2度ほど遊び、3日ほどユーリがわが家に泊まったことがあるという、その程度の交友である。
しかし相性とでも呼んだらいいのだろうか、この2頭は初対面のときから抜群にウマが合った。

初対面のとき、ボニーがユーリの前で仰向けに転がってみせたのに私はビックリしてしまった。
コケティッシュといったらいいすぎだろうが、ボニーは少しだけ自分より若いこの男の子がよほど気に入ったらしい。

2頭はドッグランでは豪快、野蛮に遊び、ユーリがわが家に泊まりにくると切れ目なくもつれ合って遊びつづけていた。
ときどき私が2頭をムリヤリ引き離し、休ませなければならなかった。

遊びに没頭する2頭を見ているのは、じつに楽しかった。
しかし、申しわけのないことに、それがユーリにはよくない結果となった。
わが家で、てんかんの発作を起こしてしまったのだ。




子犬でPerroに保護されたユーリは、生後半年を越えて新しい飼い主さんに譲渡されていった。
そうして、1歳を迎えるか迎えないかというころ、ユーリはてんかんの発作を起こしたのだった。
1度、そして日をおいて2度、3度と……。
その報せをいただいたときに、私がどれほど驚いたか想像していただきたい。
あれほどピカピカの子犬だったユーリが、まさか。
しかしそれが現実だった。叫ぼうが泣こうが変わらない現実である。

飼い主さんは「だからといって、ユーリに対する私たちの気持ちが何ら変わるものではありません。むしろより愛情が深まったといっていいと思います」と当たり前のように話した。
私は、このような人たちにユーリを譲渡した自分を少し誇らしく思ったのである。

はじめて目の前で、里帰りしたユーリの発作を見るのは辛い体験だった。
発作の最中よりも、その後回復していくまでの姿が痛々しかった。
ユーリは懸命に立ち上がると、視力が戻っていないのだろう、ふらふらと歩いては何度も障害物にぶつかり、よろけた。制御を失った自動装置のように、右も左もなく、ただ歩き、さ迷うのだった。





原因はわからない。
何かの因子がユーリの脳に紛れこんだのかもしれないし、違うのかもしれない。
ユーリは依然として見ほれるほど美しく、誰よりも聡明で、ときどきちょいワルで、人が好きで、人から好かれ、他の犬に対しては(本当に力のあるモノ特有の)悠揚たる態度で接し、本質的に心根のやさしい子である。
ユーリの資質に嫉妬した神が1滴だけスパイスを落としたに違いない。
しかしその1滴によって、ユーリは私たちにとってよりかけがえのない子になったのである。

ユーリを短時日お預かりするときに、飼い主さんからてんかんの発作について説明を受けた。
発作中は歯を固く食いしばるから指を噛み切られたりしないよう注意してほしいという話もあった。
私は尋ねた。
「ボクの指が噛み切られたようなときは、緊急でご連絡を差しあげたほうがよろしいですかね」
飼い主さんは間髪を入れずに言葉を返した。
「そんなことでは、連絡してこないでください」
私がこれまで耳にしたなかで、最高に素晴らしいジョークのひとつだった。

ユーリは最初の飼い主に捨てられて幸せになったのだと、私は確信している。


2012年06月05日(火) No.130

交友録---うえ(4)





爬虫類脳と哺乳類脳というおもしろい考え方がある。
細かい説明は省かせていただくが、脳の中心部にあるのが原始的な爬虫類脳で、人間はその後の進化の過程でその外側により高度の脳を獲得していったというのだ。

私は、うえには「ジュリア脳」というのがあると思っている。
悪童時代の「ジュリア」の脳。天才的ワルに無限エネルギーがフル充填されたジュリア脳である。
ジュリア脳の外側には、その後のトレーニングやしつけ、人との暮らしによって、きわめて薄い「優等生脳」が獲得されている。
うえが譲渡先から戻ってきた直後のファーストコンタクトのときに、私が見た折り目正しく振る舞ううえは、まさに優等生脳のうえであった。
ビシッと脚側で歩き、命じ終わる前に座り、「ハウス」のコマンドで瞬速クレートに入る。
しかし、なにぶん優等生脳は薄く後付けであり、その下のジュリア脳のマグマがあまりに強力なため、あちこちで地崩れや陥没、地割れが生じてジュリア脳が噴出露呈する。
そうなると、天下一品のワルが出現する。
人間の油断、心のわずかなスキを見逃さず、驚くべき奸智を発揮する、盗み食いの大家、侵入・脱走・破壊の名手である。
多数の預かり犬を経て「難攻不落」を豪語していたわが家の庭からの脱出路を見つけたのはうえである(その後、厳重に補強した)。
室内ドッグランでは、知り合いの小型犬をボーリングのピンのようになぎ倒しながら走る。
ぶつかってしまうのではなく、明らかに自らの力の優位に喜びを感じながら相手めがけて当たりに行ってる。



↑深く流れの速いところに平気で突っ込んでいくうえを呆然と見るボニー


前述したように、うえの現飼い主はPerroスタッフである。
留守番のときは「かならず」うえをクレートに入れて出かけた。
フリーにして目を離したときのうえの武勇伝はさんざん耳にしていたから、この点は厳守していた。
一方、本人在宅のときはもちろん室内でフリーにしていた。
家の中では何ひとつ問題を起こさない子なので、「もう大丈夫。短時間の外出だし」と、うっかり考えたのである。
甘かった。
ほんの20分程度の外出から帰ると、たいへんなことになっていた。

うえはなぜか戸で仕切られていた隣りの部屋に侵入して、食べられる可能性のあるものすべてを食べ散らしていたのだった。
このマンションは簡単にいうと2部屋あって、1室は完全フリー部屋、もう1室は「犬の立ち入り禁止部屋」となっている。
左右にスライドする2枚の引き戸(引き違い戸)が、この2室の間を仕切っている。いつも出入りする側は注意深く隙間のできないよう開け閉めしていた。
一方、常時閉めっきりになっていた側の戸は、飼い主の注意が向けられていなかったため、戸と柱の間にいつの間にかわずかな隙間ができていたのに気づかなかったらしい。
うえは、その小さな隙間を見逃さなかった。
こじ開けて隣りの部屋に侵入し、狼藉のかぎりを尽くしたのである。



↑ボニーは絶対に、たらいには入らず、外でうえの水遊びを見ている

うえとボニーを比べると、ボニーには純朴で要領の悪い高校生みたいなところがある。
運動部の練習に明け暮れ、かばんにはぎっしり教科書とノートを詰めて学校と家とを往復する毎日である。
一方、うえは運動能力抜群で、運動部に入部するとたちまち素質がピカイチであることが明らかとなるが、早々に退部して、毎日、放課後は街で遊んでいるような子だ。
教科書やノートは学校のロッカーに置きっぱなし。だが、その抜け目なさで成績や学校の評価は悪くない。世の中のことをいっぱい知っていて、同級生から一目置かれている。

世間智に富み、ワルの匂いがするうえといるのが、ボニーには楽しくてならない。うえのことが大好きなのである。
「遊ぼ、遊ぼ」とひっきりなしに誘いかけるのはボニーのほうだ。
もしかしたら、うえは、ボニーがうえのことを好きなほどには、ボニーのことが好きではないのかもしれない。


↑いつも遊びをしかけるのはボニー
2012年06月05日(火) No.129

交友録---うえ(3)





うえとボニーは一緒にしておくとエンドレスで遊びつづける。

少し前のことだが、広々とした全面芝生張り、かつ周囲を完璧に囲われた愛犬家垂涎のお庭があるお宅に、うえ&ボニー、その他「名犬」が参集したことがあった。
このお宅はまた、リビングダイニングが庭に面していて、そこから庭に直接出入りできるうえ、庭で犬どもが遊んでいる様子をゆっくりお茶しながら眺められるという夢のような構造になっている。
はじめに参加全頭(6、7頭だったか)を庭で好き放題に遊ばせ、体力気力を存分に発散させてから室内にあげるという成りゆきだったが、うえ&ボニーのラブ系2頭組だけは、居残りを命じられて庭で遊びつづけている。





この日は「ランチ」という名目だった。
しかし2時間たっても、3時間がたとうと、アルコール補給ゼロなのに話題がこんこんと尽きないという、半減期の長い放射性物質のような不思議な会だった。
さらに驚いたことには、ランチがすでに4時間以上経過しているのに、庭に放ったらかされたうえ&ボニー組はまったく遊びに没入して飽きるということがない。
取っ組み合って、互いに激しくむしゃぶりつき、息を荒げて追いかけ合う。疲れて動きが止まると、「やっと終わったみたい」と誰かが言うそばから2頭はふたたび取っ組み合っている……そのサイクルが果てしなく繰り返されるわけだ。

ランチに集まっていたのは愛犬家として少しフツーではない領域にまで足を踏み入れている面々であったが、その人たちさえ「どういう犬たちなのよ」「ラブってこれだから……」と笑い、呆れていた。





これほど遊びつづけられる背景には、どちらもラブ(系)であり、ほぼ同年齢・同サイズであるという条件が揃っていることがあげられるだろう。
しかしおもしろいことに、この気の合う2頭の性格はまったく違うのである。

ボニーは裏も表もなく、縦から切っても、斜めから切ってもボニーが出てくる。どこを切っても純一のボニーなのである。
一方、うえの場合は、そう単純な話にはならない。



↑熱い接吻ではなく、ボールの奪い合い
2012年06月05日(火) No.128