俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

吠えるユーリ(1)




ユーリの体重が16kgを超えていた。
2か月ちょっとで重さが2倍になったわけだ。
「すっかりコリーになったねー」
公園でそう声をかけられた。
大型犬が整列するスタジアムの入場門にたどりついた感じだ。

さて、ユーリの吠え声について――
仮に犬というものを、「吠える犬」と「吠えない犬」の2つに強制的に分けるなら、ユーリは真ん中より数歩だけ吠える側に位置するのかもしれない。
一部の寡黙な柴、ハスキー(遠吠えはするが)などに比べれば、ユーリは吠える犬だ。
まだ子犬だからか、共鳴するマズルが細長いからか、その吠え声は甲高い。

ユーリが吠えるシチュエーションはほぼ決まっている。
1)山盛りのドライフードの入ったボールを目の前に、「スワレ」を命じるとき。2、3回吠える。
2)牛骨の内側に私がチーズを塗っている間ずっと。
3)私と遊んでいて激しく興奮したとき。
4)相手が自分の思うようにならないとき。
5)自分のモノの所有権を主張するとき。

これをもう少し詳しく書いてみよう。

2010年12月22日(水) No.95

検閲




ユーリは小さい子どもも大好きだ。
とはいえ、私のような不審な中年男性が、子どもに用もなしに近づくのははばかられるし(幼児に用ってあるのか?)、当然、犬嫌いの親御さんもいらっしゃるので、ユーリはこうして距離を保ち、シッポを千切れるほど振り、体をくねらせ、出会いを切望しながら見学しているわけだ。

このところ、ユーリの屋外での写真ばかり使われているので、どうして屋内の写真はないのか、いったい家の中ではどう暮らしているのだろうかとお考えになった方も(1人ぐらいは)いらっしゃるかもしれない。
禁じられたのである。家内に。
11月19日に、荒廃したわが家の写真を掲載したところ、「どうしてこんな写真を載せるのよォ」と家内が憤慨した。
それ以来、室内で撮った写真はなるべく検閲を受けて、許可をえるようにしている。
次のような微妙に偽ハイソ感のただよう写真は掲載許可がおりる。というより、掲載は推奨される傾向にある。



だが、下のような写真を無許可で掲載するとなると、危険を冒す覚悟が必要である。
事実の報道は、ときとして勇気が必要とされるわけだな。


▲室内での格闘写真は山ほどあるが、背景が写りすぎている。お見せすることができないのがじつに残念である。

さて、ユーリの数少ない欠点(コリー本来の性質だから欠点とはいえず、家庭犬として都市部で暮らす場合の「不都合」と呼ぶほうが正しいだろう)として、吠えやすい点があげられる。
次回はそれについて書くつもりだ。
2010年12月18日(土) No.94

コーギーというもの




ボリスは(新しい名前はコウちゃんになったから、次からコウちゃんとする)、コーギーの男の子としては本当にいいヤツだし、「コーギーの男の子にしては」という前置きを取っ払っても本当にいいヤツである。

コーギーの♂は、私たちのような活動をしている者にとっては、少し緊張させられる相手だ。
咬癖が根強くある子が少なくない。
もともと直情径行、一本気な性格だけに、いったん曲がるとなかなか手に負えないところもある。

以前、ドッグランの運営にたずさわるボランティアご夫妻が、傍らの愛犬・コーギー男子を指して「この子はたいへんだったんですよぉ」と昔話を語りだした。
若いころはきかん気で、ガブガブ咬まれて、お2人とも手が血だらけになったそうだ。
その悪鬼のような時期を抜けでるまでに何年もかかったという。

私は、自分の手が血だらけになるのはあまり好きではない。
コウちゃんをセンターから引きだすときに、少し緊張した。
誤解しないでいただきたいのだが、私個人にとってコーギーは好きな犬種のひとつである。
10年以上をコーギーの女の子と暮らした。それは忘れがたい経験となっている。



もう何年も前になるが、JKCの競技会を見学していたときのことを思いだす。
たまたま私が見かけたそのコーギーは、小柄のセーブル系で、見るからに利発、300ワット級の明るい魅力に満ちていて、キラキラとした銀粉のようなチャームが周囲にまき散らされているみたいだった。
その子の演技は正確、忠実。私のような素人からは完璧に見えたし、なによりもじつに楽しそうにそれをおこなっているのがよかった。
だが、長時間のマテが繰り返されたとき、その子はウキウキと周囲を見わたし、次の瞬間にはダッと走りだしていた。
競技会の会場から飛びだして、はるか遠くに駆けていった。あわてて追いかける女性の飼い主。
もう一度演技が開始された。
今度は前のときよりも短い辛抱の後に、その子はまたしても駆けだしたのである。なんとまっしぐらに私のほうに向かって。
ふたたび取り押さえられたその子の顔に、「あー、おもしろかった。もう1回遊ぼ」という感じの、なんとも楽しそうな、イタズラっぽい表情が浮かんでいたのが間近でハッキリ見えた。
その子は2度の「場外」で失格になった。
私は、飼い主さんの落胆をヨソに、「コーギーはこうじゃなくっちゃ」と心の中でひそかに快哉を叫んだものである。

コーギーは律儀で、自分にも他者にも自分の決めたルールを守らせることを好む。
融通がややきかない面がある。
日本犬の柴にいくぶん似た性質をもち、そのためもあるのか、互いを「天敵」と見なすことが多い。
こう書くと、なんだただの頑固ジジイじゃねーかよ、と思われるかもしれないが、コーギーにはこうしたすべてを内側からぶち破ってほとばしる、明朗で力強く健康なエネルギーの発散がある。自らを軽々と乗り越えてしまうのだ。


▲コーギーには日なたと牧草の匂いがする。

コーギーは「大型犬のハートを持った小型犬」と呼ばれる。
小さく愛らしいその見かけに騙されてはいけない。
なんといったって牛追いの犬である。
昼間は牛を追い、仕事でヘトヘトになっても、夜には酒場で暴れることができる連中だ。
コーギーの特性を知らずに、そのサイズだけを見て安易な気持ちでコーギーを「座敷犬」同様に扱えば、うまくいかないことのほうが多いのは当然である。
18世紀 19世紀のワイオミングからカウボーイを連れてきて、丸の内のオフィスに1日縛りつけることを考えたらよい。

コウちゃんについて少しだけ書く。
コウちゃんは、去勢手術を受け、肥満させられ、フィラリアに感染させられて、見捨てられた。軽いハンドシャイがある。
上の事実から大胆に想像すると、飼い主は素人繁殖のコーギー子犬を譲られたか、あるいはペットショップの店頭で見て「かわいいー」と購入したのではないか。
いずれにしてもコーギーについて無知なまま飼育をはじめ、コーギーが子犬期を脱すると、そのエネルギーとパワーに驚き、去勢手術をおこなう。しばしば体罰も用いた。そして、その後は放置と無関心という虐待に転じる……。

こういう目にあってもなお、コーギー男子のコウちゃんが曲がらなかったのは驚くべきことだと思う。
コーギーは根に神経質な部分があり、センターから保護する直前直後のコーギーは神経性の下痢を患うことが少なくないが、コウちゃんはその点でビクともしなかった。下痢のゲの字もなかったのである。
子犬のユーリのワガママ放題・傍若無人ともじつに辛抱強く付き合ってくれた。

こういう活動をして知るのは、ある人にとって無価値に見えるものが、じつは素晴らしい、むしろ稀少といっていいほどの価値をもっているという事実である。
無価値だと決めつける人は、ただ本当の価値がわからないだけなのである。

コウちゃんは素晴らしいコーギーだ。
強いていえば、それに気づくことのできない人間が飼い主になったことだけが、この子の欠点だった。

コウちゃんが、どんだけいいヤツかは、預かり日記をお読みいただきたい。
「わんこ預かってます」


2010年12月15日(水) No.93

別れ




コーギーの男の子がわが家を去って、預かりボランティアさん宅に行った。
家内の発案で、この子には「ボリス」(※)という勝手な呼び名をつけていたが、むろん名前も変わる。
2週間ちょっとの滞在だった。

ユーリは、いなくなったボリスの姿を求めてしばらく探し回った。
そして、ある瞬間、心のどこかで「もうアイツはいないんだ――」と気づいたらしく、なにか魂が抜けたように静かになり、夜は早い時間から爆睡して物音にもけっして目を覚まさなかった。
翌朝は、いつものように起きて真っ直ぐボリスのクレートが置かれていた場所に走っていったが、そこにはすでにクレートすらなかった。
庭に出ると、寄る辺のない心細さに震えるように、じっと私に身を寄せてきた。
そのままずっと身じろぎもせず寄り添っていた。
つい前の日までは、ボリスに夢中で、私などほとんど眼中になかったのに。

頭がスッカラカンのように見えたこの子犬には、いつの間にか、微風に揺れるさざ波にも似た寄せては引くこまやかな心の機微がそなわっていた。
この朝のユーリのひとつひとつの所作は、思いがけずやさしく、頼りなげで、心にしみた。
私はこの朝のことを忘れまい。

その後ひと眠りすると、時限装置的感傷は消え、すっかりもとのユーリに戻って、走り回り、甘噛みし、ガンガン吠えた。


おちゃらけ2人組

さて、コーギーのボリスについて――
この子がどんな子であるかは、募集コメントやこれから書かれる預かり日記をお読みいただきたいが、私にもどうしても書いておきたいことがある。

(※)家内が「ボリス」という名前を思いつき、これには私も珍しく反対しなかった。というのも、ボリスもロシア名であり、「ユーリ」とはいろいろ因縁がある。
たとえば、ロシアの初代大統領となったボリス・エリツィンは改革派の飲んだくれだったが、ほぼ同時代に、これと対照的なソ連時代の硬直した党官僚的なユーリ・アンドロポフというトップにまでのぼりつめた不人気な政治家もいた。詩人のボリス・パステルナークが書いた小説「ドクトル・ジバゴ」の主人公は「ユーリィ」だった。私もこの大部の小説を購入し、30年間書棚にあるが、明日から読もうと思う。

2010年12月14日(火) No.92

なんでも一緒




走り、




跳び、




踊り、




丸まる
2010年12月09日(木) No.91

負けない




オマエ、ときどき怒る。




みんな、すぐ怒る。




いつも怒られる。




オレ、負けない。
2010年12月08日(水) No.90

友だちひとり




追いかけっこして、




取っくみあって、




水のんで、




オマエ、友だち。
2010年12月02日(木) No.89

友遠方より




友遠方より来る。




酒を注ぎ、




注がれ、




楽しからずや。
2010年12月01日(水) No.88