俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

お祭り




地元の(史実デッチあげの)お祭りがあった。
驚くべき盛大な人出となって、中心地となった近くの公園周辺は世の善男善女であふれかえっている。

私は人ごみほど嫌いなものはないのだが、テツを連れて人ごみに出かけるという経験も悪くないと思った。一度やってみるか、と。
混み合った駅のコンコースや都心の繁華街にテツを連れていけば、周囲は絶対に寛容ではありえないだろうが、なにしろお祭りである。テツの存在も好意的に受けいれられるに違いない。(事実、みなさん寛容でした)
正直に白状するが、久しぶりの暖かな太陽の下で露店販売の生ビールを1杯か2杯……というスケベ心もないではなかった。

だが人ごみに入って数分で私は後悔した。来るんじゃなかった。
身動きがとれないほどではないが、気分がまったくせわしなくていけない。
申しわけ程度に歩いてから、引き返すことにした。
Uターンして、歩いて来た道を戻り、人ごみを外れてわが家に向かう道に踏み出したとたん、テツが足を踏ん張って「そっち、行きたくねーんだけど」。
は?

テツは人ごみが大好きなのか。
そういえば、ずっとマーキングの素振りすら見せない。
嬉々として右左を見まわしながら人と人のあいだを縫って歩く。まわり中全部が人というシチュエーションがテツの長年の夢だったらしい。
その顔には「なにこれ、すげー楽しいんですけど!」と書いてある。



私と好みが真逆である。
しかたないので、テキトーに人ごみを歩いてから、さりげなく路地に折れて帰路に向かおうとすると、どうしてわかったのか「オレ、帰らねぇ」とテツは足を踏ん張った。

もしかしたら、テツは広漠たる大自然はお嫌いかもしれないという気がした。
2010年04月26日(月) No.72

わかりやすい人




「まったく、わかりやすい人だねえ、あんたは……」
家内が呆れはてている。

1週間ほどミニピンの男の子がわが家にショートステイしていった。
その子が去ったとたん、テツはコンコンと爆睡を続けた。全身から安堵が煙となってモクモクと立ちのぼっているようである。

ミニピンは、たいそうかわいいヤツだった。
すぐにヒザによじ登ってくるし、ブランケットや布団にはかならず足元から潜りこんできた。
コイツの人とのあられもない接し方を見て、「オレの座が危ないかも」とテツは強い危機感を抱いたのだろう。ときどき、両の目の間には深い懸念が感じられた。誰が見ても、顔に「心配」と書いてある。
そして――あの巨体で、みごとに赤ちゃん返りしたのである。



ミニピンが突然去ると、テツの緊張が解けて、全身でホッと安堵した。
2、3日寝てばかりだった。
私や家内がどう動こうと、ピクリとも起きないテツ。そんな姿ははじめて見た。

滞在中、ミニピンは私がパソコンに向かっているときには、黙々とヒザによじ登って、窮屈で不安定な場所で丸くなって寝ようとした。
「聖域」を侵されて、テツの焦るまいことか。
できるなら私とミニピンのあいだに割りこみたかったのだろうが、体のサイズがそれを不可能にしていたため、頭だけを私のほうに差しだした。
ミニピンは振り向いて、テツに唸り声をあげた。私のヒザの上から下僕テツを見おろす支配階級気取りである。
テツはミニピンの唸り声などまったく気にしないが、私は気にするので、すぐさまミニピンを床に下ろした。
たちまち四民平等となって、ミニピンはなにごともなかったかのように平民の仲間入りした。
不思議な生き物である。



ミニピンにはただちに消滅してほしいとテツは感じていたに違いない。
ときどき、テツがその鼻先をツンツンとミニピンにぶつけることはあった。
けれども、明らかに攻撃的な行動をしかけたのは一度もなかった。

テツの辞書に「攻撃」の2文字は存在しない。
神様が遺伝子に書きこむのを忘れたに違いない。(他にも書きこみ忘れた大事なことがたくさんあるようだ)
たぶん「テメーのことが気に入らないんだよッ」という行動を開始しても、テツの場合は脳回路が自動的に「敵対モード」から「遊びモード」に切り替わってしまうのだろう。
瞬間的に芽生えた敵対エネルギーは、そのポテンシャルを保ったまま遊びエネルギーに変換されて、発散先を求める。

そういうわけで、テツ自身なぜか分からずミニピンを遊びに誘い、当然断られると、ひとりでハイになって遊んでいる。
不思議な生き物である。

2010年04月15日(木) No.71

去勢



▲内容にはまったく関係ないけど、珍しく桜花とテツの写真など

多くの子犬たち(幼犬)と接して当たり前のように知るのは、♂の子が脚を上げて排泄しないという事実だ。
彼らは成犬になる道筋のどこかで、脚を上げるようになる。
脚を上げる時期も、早い子もあれば遅い子もある。数は少ないにせよ、成犬になっても上げないままの子もいる。
マーキングもまったく同様。

つい最近、Perroで保護した8か月に満たないチワワの男の子は、預かりボランティアさんのお宅に到着早々、脚を高く上げてチッコラチッコラと室内各所のマーキングに精をだしていた。
「ボク、無垢のカタマリ、悪いコトなにひとつ知りませーん」というような顔をして、である。(幸いその後、室内マーキングは収束に向かったとのことです)


▲キミのことです

脚を上げるのを覚える前に去勢手術をおこなった子は、かなりの確率で、その後脚を上げないまま一生を送る。
逆に、いったん脚を上げて排泄することを覚えた子は、その後に去勢しても、脚を上げて排泄する習慣を変えないように見える。

これについてピッタリな説明を、以前にもご紹介した『動物感覚』(テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン/中尾ゆかり訳・NHK出版)*という書物に見つけた。
著者は、自らの子ども時代の飼い猫が、遅い時期に去勢をしたため「においつけ行為」(マーキング)による「被害」が去勢後も続いた例をあげて、こう書いている。
去勢すれば望まない繁殖を簡単にふせげるが、かならずしも繁殖にともなう行為をすべてふせげるわけではない。とりわけ、性行動がはじまってしまったあとの、比較的遅い時期に去勢した場合はふせぎきれない。

テツの去勢手術がおこなわれたのは、Perroがテツを保護した後、つまり、少なくとも2歳を超えてからである。とっくに性に目覚める年を過ぎて、マーキング行為を確立した後というわけだ。
飼い主が十分早い時期に去勢手術をおこなっていたなら、テツはいまごろ脚を上げずにシッコしていただろうし、マーキングをしなかった可能性がある。


▲ボ、ボクのこと?

この本はたいへん面白い読み物であり、ところどころ目からウロコの記述もある。が、本に書かれている全部を頭から鵜呑みにしないほうがいいと思う。論じる手つきに科学的実証性が欠けているのではないかと、私ですら感じる記述が一部にある。信用性にバラツキがあるとでもいおうか。引用しておいて、なんですが……。
2010年04月12日(月) No.70