俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

座椅子




わが家に座椅子がひとつある。

娘が、「大学が忙しいから」と主張して友人と大学の近くにルームシェアをすることになったとき、最低限の家財道具として購入したもののひとつである。
まとめてニトリで買った。値段はとても書けないほど安い。

1年半ほどで娘は家に戻ってきたのだが、家財道具も一緒だった。
座卓、折り畳み式ベッド、カーテン、天吊り照明具……すべてわが家には不要なものばかりだった。

座椅子は見るからに安物感満載。「こんなもの捨ててきちゃえばよかったのに」と私は毒づいた。
だが、「試しに」とテレビの前に置いてみると、またたく間に、そこが家族の特等席になった。見かけの安物感に反して、肌触りがソフトで、とっても居心地がよい。
座椅子に座るのと、座椅子なしで床に座るのでは、三等船室と一等船室くらいの違いはあった(船はいちばん階級格差の大きな乗り物である)。

ひとつしかない座椅子は、テレビやビデオを見る際の早い者勝ちの一等地になった。

だがテツがやってきて間もなく、座椅子はテツの指定席になってしまった。
とくに冬は床にホットカーペットが敷いてあるので暖かいうえ、家族が入れ替わりテレビを観に出現するので、寂しがりのテツには最高の場所なのだろう。別の場所にあるドッグベッドはめったに使われなくなった。
そして、写真でおわかりのように、じつに上手に背もたれを利用する。



座椅子の使用にあたって、テツには鉄則がある。
先に座っている者優先だ。
ことに先住老犬がここに寝ていたりすると、絶対不可侵である。おおむね座椅子が存在しないかのように振る舞うが、先住犬のお許しがあればお尻とお尻をくっつけあって遠慮がちに寝ることもある。
私が座ってだらしなくテレビを観ていると、テツは私の脚にアゴを載せたりしながら自分は座椅子に乗らずに添い寝する。

だが、座椅子でうたた寝などしているときに、うっかり寝返りでもして、座椅子の一部を空けると、「専有権の解除!」と見たテツはそのスペースを人と無理矢理シェアしようと割りこむ。
まず、その場所にぬおっと仁王立ちになり、しばらく考え込むような素振りをする。グルグルと回転した後に、ため息をひとつつくと、お尻というか背中を人にぐいぐいと押しつけながら寝場所を確保する。
その力で、決まって人間の身体は座椅子の外に押し出されてしまうのだ。
結局、テツが座椅子で寝ており、私は頭だけを座椅子に残して不自然な体勢で床で寝ている。

目が覚めたとき、どれくらい体の節々が痛むことか。

2010年01月28日(木) No.66

ありえないラブという存在




いまさらではあるが、明けましておめでとうございます。

年が変わっても、テツはわが家にいる。
これは、長男の単位取得数とならんで2009年のわが家の最大の誤算のひとつといってもいいかもしれない。でも私は、そんな状況を楽しんでいる。

年末年始に自分の最近の日記をつらつら読み直して、テツがまるで分離不安の怪物であるかのような印象を与えているのではないかと心配になった。
さてどうやって説明すればよいものか。テツの全体像はまるでそんなものではない。
実際、いまもテツはひとりきりで全身をだらしなく武装解除してイビキとともに爆睡している。そんな姿を皆さんにご覧いただけたらと思う。

ラブと暮らした経験のある方なら、わかっていただけるはずだが、ラブは矛盾と謎と笑い(と大迷惑)に満ちた複合的な構造物である。
最近、偶然のことから『動物感覚』(テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン/中尾ゆかり訳・NHK出版)という本を手にした。そこに、ラブについて書かれた興味深い文章があった。
一部だけ引用してみる。
遺伝子に関しては、ラブラドールは奇妙な犬だ。恐怖心があまりなく、攻撃性が低く、社会性が高い。これは正常な組み合わせではない。(※)

進化の奇跡(奇態?)というわけだろうか。「自然界では見られない現象」とまで書かれている。
私は野生の経験がないので、自然界での暮らしぶりの実情は知らないが、たしかにラブほど人間社会によく適応し、一緒に暮らしやすく、また一緒に暮らして楽しい動物はいないと思う。ゴールデンというよき好敵手はあるにしても。



出会う人すべてに、相手が老人であれ子どもであれ、男であれ女であれ、テツが友好的に振る舞わなかったことはない。ゆりかごから墓場の手前までの人に、好意以外の何ものも示さないのだから驚く。私にはとてもできない。

だから、散歩では余裕綽々、「どうぞ誰でもいらっしゃい」である。
小さな子どもが「ワンワンいたァ」と嬌声をあげながら突然近づいてきても、老婦人がにこやかな笑みを浮かべながら「あら、かわいいお顔をした子」と手を差しのべても、私はなんら心配をする必要がない。
人の手でいいようにいじられるのを許すテツは、「恐怖心」のカケラもなく、それどころか、そこに心からの喜びを感じているように見える。



(※)この引用文だけではわかりにくいかもしれないので補足します。

前掲書によれば、動物の恐怖心と攻撃性は相反する方向に作用する。
「恐怖のレベルが高いと動物は神経質になり、興奮しやすく、あつかいにくい」。恐怖心の強い犬は、恐れから人間を噛むことがある。
一方で、「自然界では恐怖が攻撃に歯止めをかける」。恐怖のレベルが低い犬は、他の犬に対して攻撃的になる傾向が強いのだという。
したがって、「恐怖心がなく、攻撃性の低い」ラブという存在は、矛盾であり、きわめて希有であるといえるわけだ。
2010年01月26日(火) No.65