俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

デーモン・ジュリア(3)――美しき諍(いさか)い女




「ああ、やっぱりジュリア!」と一瞬頬が緩み、すぐに恐縮した。
新しい飼い主さんには、いくつかの書類に書き込んで返送してもらう手はずになっているのだが、そこにはきっちりとジュリアの歯型が刻まれていた。

ジュリアは姿態の美しい子だ。
写真ではうっすらと茶がかっているように見えることもあるが、実際に見ると、全身が艶やかな黒一色の被毛におおわれている。
いわゆるラブ体型ではなく、そこから四肢をすんなりと伸ばし、胴体を引き締めた、見るからに高性能な体躯であり、事実、身軽で運動能力は高い。

だが、ジュリアが何者であるかを強く印象づけるのは、なんといってもその目だろう。
下の写真をご覧いただきたい。
まだ生後4か月ちょっとのジュリアだが、これを、以前の日記に掲載したトラジの目と比べてほしい。
こちらを睨みかえしているのは、不敵な、ちょっとやそっとじゃへこたれない目である。



ジュリアは、そのへこたれなさで、次から次へと何かをしでかす。
千変万化、無限のバリエーションで、しばしも休まず、創作的悪戯を繰りだしてくる。ほとんど天才的といっていい。
これには人間のほうがへこたれる。
伝え聞くところによれば、ジュリアを迎え入れてくださった飼い主さんは、「最初の1か月はノイローゼになりかかった」とおっしゃったそうだ。
そちらの方面に足を向けて寝られそうにない。



ジュリアと好一対をなしたのは、ピッポという男の子だった。
ピッポによって私はそれまで気づかなかったジュリアを知り、ジュリアによってピッポを知った。
2009年11月25日(水) No.59

デーモン・ジュリア(2)



▲太鼓腹を突きだしてここから出せと騒ぐジュリアと、これはこれで幸せなプリン(奥)

記憶を呼びおこすために、自分が撮影したジュリアの写真を眺めていて、他のどの子よりも魅力的な表情のカットが多いことに気づいた。
タライに張った水でずぶ濡れになって放心する姿、もの問いたげに首をかしげている顔、風に吹かれて動くビニール袋を無心に追いかけ、鳩に全神経を集中させるジュリア……。
そうだった、思いだした。この子はそういう子だったのだ。

生まれたての小さな体をなみなみとした好奇心で満たして、なにものにも臆せず屈せず、全身を力いっぱいぶつけて試そうとする。
すぐれた楽器のように、そうしたときのジュリアの反応は、ひとつひとつ、じつに色鮮やかで、ニュアンスに富んでいる。見ていて、新鮮な意外性に打たれる。

ああ、この子はいいなあと、思わず賛嘆の声がでたのを思いだした。


▲全力で走るジュリア。右奥には追いかけるプリンの姿が小さく写っている

エネルギッシュという点で、小太郎とジュリアは双璧だろう。
質量が大きく、全体が熱せられるまで時間のかかる小太郎と、軽く反応の鋭敏なジュリア。
小太郎が針葉樹の巨木のようにズドーンと迷いなく一直線に天を向くのだとすれば、ジュリアは照葉樹林のように日にきらめいて無限のニュアンスを生む。

本当はジュリアの生き生きとした写真を掲載するほうが、私の駄文より千倍も雄弁なのだろうが、ここにはそのごくごく一部しか載せられない。
掲載した写真は、生まれて2か月ちょっとのジュリアとプリンだ。
人生の黄昏時に向かってまっしぐらに進んでいる私の目には、どの1枚からも生命のかけがえのない素晴らしさが感じられてならない。


▲上に下に組んずほぐれつのジュリアとプリン

で――ここからがとくに大事なので、声をひそめて話したいのだが、輝かんばかりの生命力を持つジュリアと暮らす代償も決して小さくないのである。
次回はその話を。
2009年11月21日(土) No.58

テツ還る



▲台風一過の日に――テツのトライアルはこの青空のような結果にはならなかった

ジュリアについての話の続きを書くべきところだが、テツの一身上にデキゴトがあったので、簡単なご報告をさせていただく。

テツがトライアルに行って、還ってきた。
トライアル先は非の打ちどころのないご家族だった。
遺憾ながら、テツは非の打ちどころのある子である。片手で数えられないくらいの。
トライアル先の先住猫がたちまちノイローゼに陥り、テツはやむなく帰還とあいなった。私には猫の気持ちが非常によく理解できる。

あまり詳しいことは書けないが、先方のご家族とお見合いをした日、私は、この一家と暮らすことができればテツは絶対幸せになるという確信めいたものを感じた。トライアルが成功することを切望したのである。
一方で、トライアルにテツが出ていった日、私は、激しい喪失感に襲われた。
テツをなつかしむ気持ちがとめどなく胸からあふれてきた。

その翌々日から2日間、私は寝込んでしまった。
喪失感からではない。テツとの暮らしで積もった疲労が、一気に噴きだしたらしい。※
こんこんと眠って、少し起きてはまた寝た。頭痛にまで襲われたから、体力が落ちたところに風邪をもらったのかもしれない。
そして、テツの喪失感はきれいさっぱり消えてしまった。

「衣食足りて」こそ、テツをなつかしむことができるのだと知った。
事実、テツが戻ってくることになって、私は一瞬「うげっ」と思ったのである。

(※住宅構造、私とテツの特異な性格、先住犬とのデリケートな関係など、さまざまなことがあり、私はテツがわが家に寄宿して以来、ソファで寝ている。息子と家内はこのソファで数時間寝ただけで、「体が痛くなっちゃったよ。よくこんなところで寝られるね」などというが、私はじつに4か月間ここで寝ている。で、テツはその足元のドッグベッドで寝ている)


▲こんこんと眠るテツ。「人にはとってもよくて、なんの問題もなかったんですよ」とトライアル先ご家族はおっしゃってくださった

テツはわが家に帰ってから2日間、こんこんと寝た。
まるで私のパロディを演じているようだが、つまりは、トライアル先のご家族に寝ずにストーキングしたということである。
テツの渾身のストーキングをこうむったトライアル先のご家族の身を案じずにはいられない。

そして、還ってきたテツは少し以前と変わっていた。
行動のはしばしに微妙な節度が感じられるようになったし、汚れがちだった耳の中がピカピカになっていた。
いいご家庭で暮らしていたんだなあと、あらためて思う。テツのバカヤローは手につかみかけていた幸せを逃してしまったのだと。

私はまたソファで寝ている。足元にはテツがいて、耳の中が少し汚れてきたように思える。
2009年11月13日(金) No.57