俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

カンペイの死



今年の3月2日に動物病院の待合室で。
カンペイは病院から退散したくてとっておきの表情で「帰ろ」と私に訴えている


10月29日にカンペイが死んでしまったのだから、何かを書くべきだと思うのだが、1週間以上の時間がたったいまでも死の前後のことは私にはとても書けそうにない。
Perroのスタッフへの報告を書くだけで――事実の大筋を簡単にまとめたにすぎないのだが――いっぱいいっぱいになってしまうという情けないありさまである。
自分はもっと毅然とタフだと思っていた。

いまは他人の言葉を借りても許されると思う。
彼、すなわち犬はどうしようもない愚か者である。
あなたが人生のはしごを上っているのか下っているのか確かめもせず、あなたが金持ちなのか貧乏なのか、ばかなのか賢いのか、罪人なのか聖人なのか尋ねもしない。
あなたは友だち。彼にはそれで十分なのだ。
幸運だろうが不運だろうが、評判がよかろうが悪かろうが、名誉となろうが恥となろうが、彼はあなたについてゆき、あなたを慰め、あなたを守り、必要とあらば自分の命まであなたに捧げようとする。ばかで、愚かで、つまらない犬だ。(ジェローム・K・ジェローム)

※「すぐわかるあなたの犬の知能指数」(メリッサ・ミラー著/高橋恭美子訳)から適宜改行して引用。

この文章とは異なり、カンペイは「あなたを守り、必要とあらば自分の命まであなたに捧げようとする」ようなことは決してしないだろう。
むしろカンペイは、預かり主の私を頼りにし、何かのときには自分を守り、助けてくれる存在だと見ていたように思う。
だが私はそうではなかった。
私を頼るカンペイを病から助けだすこともできない無力な男でしかなかった。
カンペイに死なれておろおろメソメソしている「ばかで、愚かで、つまらない人間」なのである。
揃いも揃ってまったく、似合いの犬と人間だった。


1年前の10月17日にドッグランで。さんざん遊んで充足した表情を浮かべている

1時間でいいからカンペイと草の上で過ごしたあの時間に戻れないものかと思う。
私はカンペイの横にただ座り、ときおりカンペイの後頭部のふわふわした毛に顔をつけて田舎臭いにおいを嗅ぐ。
カンペイは尖った鼻先を上げて振り返り、満ち足りたまなざしで私を見るに違いない。


■この間、カンペイの病状についてご報告できなかったことをお詫びします。
2015年11月11日(水) No.190