俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

カンペイ2014.0 バージョンアップ



「あげまじでおめでどうございまず」 木の枝をバリバリ噛み

ラキ男についてまだ書き尽くしていないのだが、よく考えたら(考えるまでもなく)ここはカンペイ日記だった。
新年の巻頭にラキ男様登場ではさすがにあんまりだろうと思う。
カンペイについては、書くこと、書くべきことがじつは山ほどある。(いかに私が怠慢に日記をサボっていたかということだが)
※ラキ男の話はカンペイ日記の合間を見てもう少しだけ続けたいと考えています。

昨年の9月ごろを境にカンペイに劇的な変化があった。
きっかけは外泊だった。
カンペイを同伴して知りあいの別荘に2泊した。

これがカンペイを連れたはじめての外泊だった。
それまでカンペイを外泊に連れだせなかったのは、排泄に不安があったためだった。
別荘に泊まらせていただいたお礼に室内のあちこちにオシッコかけときました〜というわけには、残念ながら、まいらないのである。
しかし昨夏までには、カンペイの排泄にかんしてはまず大丈夫と確信できるようになっていた。
失敗は3〜6か月に1度あるかないかの例外的事故と見なせるようになった。


知らない山荘。オレすごく心配

山深い別荘に泊まって驚いたのは、カンペイが私の後追いをはじめたことだった。
私の行く先々に黙々とついてまわる。私が別荘の外に出れば、なんとドアの前で忠犬のように待ちつづけている。
まったく予想外のできごとだった。
これがラブだったら私は驚かない。しかし柴男子である。
しかもカンペイは、わが家にやってきてから私の後追いをしたことなど皆無だった。カンペイの側に必要(散歩に出るかも、オヤツをくれそうetc)があると認められたとき以外は。

後追いするカンペイの姿を見て、家内も私もほとんど仰天したのである。

「柴は人ではなく家に付く」という言葉があって、これをずっと私は至言だと思っていた。
ラブ、ゴールデンなどの西洋帰りの連中が「アンタが命」ともっぱら人に付くのに対し、原日本人犬・柴は「アンタはアンタ、オレはオレ、一緒にここで暮らしてる」という生き方を選択しているのだ、と。

外飼いの柴だと、その傾向はより強くなるはずだ。
飼い主から直接聞いたこんな話がある。
幕張に住んでいた柴飼いの家族が横浜に引っ越した。
柴は引っ越し後、新しい家からたちまち脱走して都内で保護された。まさに元の家へ向かう経路上で。


知らない場所、知らない世界。オレすごく心配

柴の美点はそんな性質とも結びついている。
人にベタベタせず、つかず離れずの関係を保ちながら、家の暮らしになじんで空気のように存在する。
そしてときおり、水底から浮かんできたように立ちあらわれる淡い(柴としては限度額いっぱいの)愛情表現にほろりとさせられるのである。

私は文太のことを思いださずにはいられない。以前、別の団体に属しているときに長期間預かっていた柴だ。
私が庭で何か仕事をしていると、文太はいつもそのあたりにいた。
たいていは私から少し離れた場所で、汚なそうな場所に頭を突っ込んだり、草木の臭いだとかなにやらを探索をしてまわっているのだが、一定の時間ごとに私の近くにやってきては「お前、ナニしてる?」と顔を覗きこんでは、また自分の「仕事」に戻っていった。私が庭仕事を終えて家に入ろうとすると、さっと足もとにいた。
その距離感は絶妙という以外なかった。
「日々在ることの幸福」という言葉の意味に近いあたたかなものを、私は文太と共有している気がした。
「ああ柴と暮らすってのはいいな」と感じ入ったものだ。

毎日ブラブラとじつにお気楽に生きているカンペイは、基本的には人よりも家に付いている犬だと私は思っていた。
それが突然、私の後追いをはじめた。
自分の馴れ親しんだテリトリーから見知らぬ環境に放り込まれて、私という存在の意味にはじめて気づいたのかもしれない。
カンペイにとって私は、家に常置きされているありがた迷惑な備品のひとつから、何かもう少したいせつなものへと昇格したのだと思う。

このときからカンペイと私たちの関係が大きく変わったといっていい。


心のやさしい文太。若くして心臓が悪かった
2014年01月12日(日) No.164