俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

ラキ男のこと(7)





「犬のために庭で自由にのびのびと暮らさせてあげた。そのほうがいい」といったことを話す人もある。
そうした言い分を頭から否定することはできない。
コーギーを庭で繋留飼いするよりも、放し飼いがはるかにマシである。
それに実際、広い庭としっかりした塀があって放し飼いにできたからこそ、この老夫婦がラキ男をまがりなりにも9年間飼育できたのだと考えられる。

しかし私は思うのだが、ここでいう「犬のため」とはいったいなんなのだろう。
鼻の頭からシッポの先まで、文字どおり徹頭徹尾「人とともに」作業することを刷り込まれたこの種の犬たちを突然「お前自身のために生きろよな。あとはよろしく〜」と放りだす。
精いっぱい控えめに言っても飼い主の役割放棄、あるいは単なる骨惜しみにすぎないのではないかという気が私にはしてならない。

断っておくが、ここで私は庭で飼うことを否定しているのではない。積極的に犬とのかかわりをもたず、庭で放任したままにしておくことについて言っている。

庭で自由気ままに放任されることの弊害はもうひとつ考えられる。
犬が自らの王国の主(あるじ)になってしまいがちなのである。
人との関係が希薄になり、自分の意思にだけ忠実な生きものになる可能性がある。
このことはまた、別の環境――たとえば飼い主が変わる、災害等で制約のある環境で飼育するなど――で犬との関係を新たに築こうとするときの障害となりかねない。

ラキ男を引き取るにあたって、念のために元の飼い主に咬癖があるかを1度ならず尋ねている。咬癖の抜けないコーギー男子は少なくないから、この点にはかならず念をおす。
飼い主である老婦人はきっぱりと否定した。
「(家に入った)大工さんの顔をペロリとなめて歓迎するような子ですよ」と。


動物病院で初対面のときのラキ男


1週間後に2度目の対面。会の代表者に後ろ向きに抱っこされる。


ラキ男が無期に預けられていた動物病院で、私としてはかなり入念に身体のあちこちを触り、背中をつまんだり、仰向けに抱っこしたりしたが、咬むそぶりは見せなかった。
ただひとつ、表情が暗いのが気がかりだった。私の目を見なかった。緊張で身を固くしていた。
経験的に私は、センターや動物病院内でコーギーの様子をチェックしても、それがあまり当てにならないことを知っている。
感覚の鋭敏なこの子たちは、周囲の状況を見て自分の振る舞いを変えることもできる。
それを承知で私は、高齢だし、この子ならまず大丈夫だろう、手に負えると判断した。

そうして、この子を私たちの会が引き受けた。
預かりボラ宅の前まで車で運んできた私が、近くの空き地で少し遊ばせると、ラキ男の表情は見違えるほど明るくなっていた。嬉しそうに私の目を見た。
その瞬間、私にあった最後の懸念はかき消えていた。
この子を救けることができて本当によかったと思った。
安心して預かりボラに手渡した。
「おだやかなコーギーですよ」と。

その日のうちに預かりボラから咬傷の報告が入ったのである。


動物病院から引き取って空き地で遊ばせると表情が一変した
2013年12月25日(水) No.162