俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

シッコのわけ(2)




「カンペイがかわいすぎる。お別れのときは泣いちゃうよ」
と、家内が言いだした。

ボニー(ラブ♀)の預かりのときは「テツ(ラブ♂)とは比べものにならないほどかわいい」と言っていたその口で、今度は「ボニーよりもずっとカンペイがかわいい」と言う。
家内にとってテツの位置づけはどんだけ低かったのかよと、いまになって私は驚くのである。

このところの練馬の炎暑で家内の脳のあたりがやられたのかなとも一瞬思ったが、しかし考えてみれば、私自身も最近カンペイのことを「かわええな、こいつ」と感じる頻度が増している。
まあ、そのあたりのことは、あらためて書こうと思う。

「かわいい」認定にあたっての家内の絶対条件のひとつが、「手がかからないこと」である。
(念のために言っておくが、この場合、家内の手だけが考慮されるポイントであって、私の手はいくらかかってもかまわないのである)
つまり、カンペイはこれまで預かった犬のなかで、もっとも手のかからない部類なのだ。
これはまったく嬉しい誤算だった。
現在、週に2度ほど室内のシートを使う以外、排泄はほとんど散歩ですませる。ほぼ(ほぼ、です)完璧だ。
それなら最初の1か月はなんだったのか、ということだが。


気が向くと、ひとりでクレートに入って寝ている

いろいろあるが、じつは原因のひとつは私である。
サクがやってきた直後から、いくつかの違った要素が束になって一見「排泄の失敗」というかたちで押し寄せてきた。圧倒された私自身の頭のなかも、サクと出会った直後のカンペイ同様、ショートして真っ白になっていたのだった。

で、このとき私がとったいくつかの行動が、事態をさらに悪くしていたのに気づかなかった。
ひとつは、前に書いたように、サクとあれだけ長い時間庭で遊んでいたんだから、カンペイも十分に排泄しただろうと誤認したことだ。
カンペイは庭ではあまり排泄しないのに。

もうひとつは、これと関連するが、庭であれだけ遊んでいるのだから、散歩は短めに切りあげてよいだろうと考えたことだった。
カンペイはわが家にやってきてまだ4日ほどしかたっておらず、サクはわが家にやってきたばかりだった。
未知数の2頭を一緒に長時間散歩に連れ出すのは、さすがに気が重かった。事故の危険も増すだろうと。
それで、カンペイだけのときの半分以下の距離で散歩を切りあげた。
大きな間違いだった。

散歩から帰った直後に室内でジャーッと排出するカンペイを見て、私は「お、お前、どうしていまの散歩でやらなかったんだよ」と天を仰いだが、カンペイにはカンペイの理由があったのだ。

現在のカンペイは、1日1回、朝の散歩で大量の大を排出するようになっている。
家を出て、どちらの散歩コースに向かおうと、だいたい同じくらいの到達距離(到達時間)で排泄する。
およそ家を出た15〜20分後――これはもう「生徒手帳」に記載されているんじゃないかと思うほど、決まりきった日課になっている。
だいたい散歩の最大到達距離(わが家からいちばん遠い場所)のあたりでやる。
小のほうも、カンペイ独自の謎の計算式にしたがって、排泄量を調整しながら何回にもわけて排出する。

カンペイがわが家にやってきた最初の4日間は、むしろ散歩の回数と時間を多くとっていた。少なくとも日に3、4回の散歩に出た。
サクがやってきたとたん、それが急に絞り込まれたのである。絞り込んだのは私だが。
カンペイの計算ではあと2、3回の小出し排泄をして膀胱タンクを空っぽにしてから帰投するはずが、膀胱タンクに相当量の小水を残したままの帰宅を余儀なくされた。
で、「あれ、なぜか家に着いちゃったよ。お腹痛くなっちゃうから出しちゃうよ」となるわけである。排便も同じ。
このあたり、カンペイは柴らしからぬケセラセラ気質の持ち主であって、必要以上のガマンを自分には強いない。

カンペイはふつうの犬以上に習慣と日課の生きものであり、誰よりも堅固で安定した日常生活を必要としている。
アレヨアレヨという変転の連続のまっただ中で溺れかかっていたカンペイのような男を相手に、散歩の日課を突然変えたりしてはいけなかったのだ。

カンペイは安定した日常という親亀の背中に乗った子亀みたいなものだ。
親亀が乱暴な動きをすれば甲羅から簡単にすべり落ちてしまう。


2012年08月05日(日) No.144