俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

黒柴見参!




さて、柴である。
黒柴の「龍」クンが――唐突にと申しあげてよろしいだろうが――わが家にやってきた。
ちょうど換毛期にあたり、冬毛が盛大に抜け落ちて身体が以前より萎んで見えるうえ、浮き毛があちこちにボソボソと顔をのぞかせており、いくぶんみすぼらしい感じを受ける。
「三丁目の夕陽」時代の乾物屋の店内みたいな、饐(す)えて乾いた体臭がする。
(それと、冬毛に覆われているうちは気づかなかったのだが、毛が落ちて身体の線があらわになると、黒柴にしては少し手足と胴体が長いような気がする。
センターの書類には「柴」と記載されているが、この子は限りなく柴に近いMIXか、あるいは限りなくMIXに近い柴なのだろうと思う。私にとってはどうでもよいことであるが)

この柴については、前の預かりボランティアさんによって詳しい日記が書かれている。まず、そちらをお読みいただいたほうがよいだろう。
http://ramdan.macserver.jp/diary/10/sfs6_diary/

次のような特長があげられているが、一緒に暮らしてみて、実際、ほぼこのとおりのことだった。
○甘えん坊
○遊び好き
○エネルギーを持て余している
○イタズラをする(クッションの破壊など)
○トイレの粗相がある
○散歩の引きが強い
○食卓の上のものに手を出す
○道路などでの拾い食い
○その場回転お尻噛み運動





私が真っ先に感じたのは、ラブの女の子と暮らした後に柴の男の子と生活をともにするのは、異文化に投げこまれるような体験だということだった。
軽い「カルチャーショック」とでもいったらいいだろうか。
縄文人と出会った弥生人みたいに、とにかく、こいつが何を考え、何を望んでいるのかが、さっぱりわからなかった。表情から感情を読みとれないどころか、そもそも表情を見つけるのが難しいのだ。

やがて知ったのだが、最初の私の驚きと困惑は、じつは、この柴が大混乱とパニックに陥っていたのを裏返しに見ていただけのことだった。
環境の変化に適応することが他の何倍も苦手なヤツであった。おそらくその不器用さは、洋犬の飼い主の想像の外だろうと思う。
時間とともに、この子のいい点、悪い点も含めて全体を俯瞰できるようになり、私はようやく日記を書きはじめる気になった。

最後にひとつ付け加えておくが、柴は、たぶん多くの洋犬の飼い主さんがよく知らずに先入観付きで思いこんでいる何倍量もの美点を持っている犬種だと思う。


2012年06月05日(火) No.131

交友録---ユーリ





うえと異なり、ラフ・コリーのユーリとボニーは頻繁に会っていたわけではない。
ユーリのお宅をごく短時間の表敬訪問で訪れたのが1度、ドッグランで2度ほど遊び、3日ほどユーリがわが家に泊まったことがあるという、その程度の交友である。
しかし相性とでも呼んだらいいのだろうか、この2頭は初対面のときから抜群にウマが合った。

初対面のとき、ボニーがユーリの前で仰向けに転がってみせたのに私はビックリしてしまった。
コケティッシュといったらいいすぎだろうが、ボニーは少しだけ自分より若いこの男の子がよほど気に入ったらしい。

2頭はドッグランでは豪快、野蛮に遊び、ユーリがわが家に泊まりにくると切れ目なくもつれ合って遊びつづけていた。
ときどき私が2頭をムリヤリ引き離し、休ませなければならなかった。

遊びに没頭する2頭を見ているのは、じつに楽しかった。
しかし、申しわけのないことに、それがユーリにはよくない結果となった。
わが家で、てんかんの発作を起こしてしまったのだ。




子犬でPerroに保護されたユーリは、生後半年を越えて新しい飼い主さんに譲渡されていった。
そうして、1歳を迎えるか迎えないかというころ、ユーリはてんかんの発作を起こしたのだった。
1度、そして日をおいて2度、3度と……。
その報せをいただいたときに、私がどれほど驚いたか想像していただきたい。
あれほどピカピカの子犬だったユーリが、まさか。
しかしそれが現実だった。叫ぼうが泣こうが変わらない現実である。

飼い主さんは「だからといって、ユーリに対する私たちの気持ちが何ら変わるものではありません。むしろより愛情が深まったといっていいと思います」と当たり前のように話した。
私は、このような人たちにユーリを譲渡した自分を少し誇らしく思ったのである。

はじめて目の前で、里帰りしたユーリの発作を見るのは辛い体験だった。
発作の最中よりも、その後回復していくまでの姿が痛々しかった。
ユーリは懸命に立ち上がると、視力が戻っていないのだろう、ふらふらと歩いては何度も障害物にぶつかり、よろけた。制御を失った自動装置のように、右も左もなく、ただ歩き、さ迷うのだった。





原因はわからない。
何かの因子がユーリの脳に紛れこんだのかもしれないし、違うのかもしれない。
ユーリは依然として見ほれるほど美しく、誰よりも聡明で、ときどきちょいワルで、人が好きで、人から好かれ、他の犬に対しては(本当に力のあるモノ特有の)悠揚たる態度で接し、本質的に心根のやさしい子である。
ユーリの資質に嫉妬した神が1滴だけスパイスを落としたに違いない。
しかしその1滴によって、ユーリは私たちにとってよりかけがえのない子になったのである。

ユーリを短時日お預かりするときに、飼い主さんからてんかんの発作について説明を受けた。
発作中は歯を固く食いしばるから指を噛み切られたりしないよう注意してほしいという話もあった。
私は尋ねた。
「ボクの指が噛み切られたようなときは、緊急でご連絡を差しあげたほうがよろしいですかね」
飼い主さんは間髪を入れずに言葉を返した。
「そんなことでは、連絡してこないでください」
私がこれまで耳にしたなかで、最高に素晴らしいジョークのひとつだった。

ユーリは最初の飼い主に捨てられて幸せになったのだと、私は確信している。


2012年06月05日(火) No.130

交友録---うえ(4)





爬虫類脳と哺乳類脳というおもしろい考え方がある。
細かい説明は省かせていただくが、脳の中心部にあるのが原始的な爬虫類脳で、人間はその後の進化の過程でその外側により高度の脳を獲得していったというのだ。

私は、うえには「ジュリア脳」というのがあると思っている。
悪童時代の「ジュリア」の脳。天才的ワルに無限エネルギーがフル充填されたジュリア脳である。
ジュリア脳の外側には、その後のトレーニングやしつけ、人との暮らしによって、きわめて薄い「優等生脳」が獲得されている。
うえが譲渡先から戻ってきた直後のファーストコンタクトのときに、私が見た折り目正しく振る舞ううえは、まさに優等生脳のうえであった。
ビシッと脚側で歩き、命じ終わる前に座り、「ハウス」のコマンドで瞬速クレートに入る。
しかし、なにぶん優等生脳は薄く後付けであり、その下のジュリア脳のマグマがあまりに強力なため、あちこちで地崩れや陥没、地割れが生じてジュリア脳が噴出露呈する。
そうなると、天下一品のワルが出現する。
人間の油断、心のわずかなスキを見逃さず、驚くべき奸智を発揮する、盗み食いの大家、侵入・脱走・破壊の名手である。
多数の預かり犬を経て「難攻不落」を豪語していたわが家の庭からの脱出路を見つけたのはうえである(その後、厳重に補強した)。
室内ドッグランでは、知り合いの小型犬をボーリングのピンのようになぎ倒しながら走る。
ぶつかってしまうのではなく、明らかに自らの力の優位に喜びを感じながら相手めがけて当たりに行ってる。



↑深く流れの速いところに平気で突っ込んでいくうえを呆然と見るボニー


前述したように、うえの現飼い主はPerroスタッフである。
留守番のときは「かならず」うえをクレートに入れて出かけた。
フリーにして目を離したときのうえの武勇伝はさんざん耳にしていたから、この点は厳守していた。
一方、本人在宅のときはもちろん室内でフリーにしていた。
家の中では何ひとつ問題を起こさない子なので、「もう大丈夫。短時間の外出だし」と、うっかり考えたのである。
甘かった。
ほんの20分程度の外出から帰ると、たいへんなことになっていた。

うえはなぜか戸で仕切られていた隣りの部屋に侵入して、食べられる可能性のあるものすべてを食べ散らしていたのだった。
このマンションは簡単にいうと2部屋あって、1室は完全フリー部屋、もう1室は「犬の立ち入り禁止部屋」となっている。
左右にスライドする2枚の引き戸(引き違い戸)が、この2室の間を仕切っている。いつも出入りする側は注意深く隙間のできないよう開け閉めしていた。
一方、常時閉めっきりになっていた側の戸は、飼い主の注意が向けられていなかったため、戸と柱の間にいつの間にかわずかな隙間ができていたのに気づかなかったらしい。
うえは、その小さな隙間を見逃さなかった。
こじ開けて隣りの部屋に侵入し、狼藉のかぎりを尽くしたのである。



↑ボニーは絶対に、たらいには入らず、外でうえの水遊びを見ている

うえとボニーを比べると、ボニーには純朴で要領の悪い高校生みたいなところがある。
運動部の練習に明け暮れ、かばんにはぎっしり教科書とノートを詰めて学校と家とを往復する毎日である。
一方、うえは運動能力抜群で、運動部に入部するとたちまち素質がピカイチであることが明らかとなるが、早々に退部して、毎日、放課後は街で遊んでいるような子だ。
教科書やノートは学校のロッカーに置きっぱなし。だが、その抜け目なさで成績や学校の評価は悪くない。世の中のことをいっぱい知っていて、同級生から一目置かれている。

世間智に富み、ワルの匂いがするうえといるのが、ボニーには楽しくてならない。うえのことが大好きなのである。
「遊ぼ、遊ぼ」とひっきりなしに誘いかけるのはボニーのほうだ。
もしかしたら、うえは、ボニーがうえのことを好きなほどには、ボニーのことが好きではないのかもしれない。


↑いつも遊びをしかけるのはボニー
2012年06月05日(火) No.129

交友録---うえ(3)





うえとボニーは一緒にしておくとエンドレスで遊びつづける。

少し前のことだが、広々とした全面芝生張り、かつ周囲を完璧に囲われた愛犬家垂涎のお庭があるお宅に、うえ&ボニー、その他「名犬」が参集したことがあった。
このお宅はまた、リビングダイニングが庭に面していて、そこから庭に直接出入りできるうえ、庭で犬どもが遊んでいる様子をゆっくりお茶しながら眺められるという夢のような構造になっている。
はじめに参加全頭(6、7頭だったか)を庭で好き放題に遊ばせ、体力気力を存分に発散させてから室内にあげるという成りゆきだったが、うえ&ボニーのラブ系2頭組だけは、居残りを命じられて庭で遊びつづけている。





この日は「ランチ」という名目だった。
しかし2時間たっても、3時間がたとうと、アルコール補給ゼロなのに話題がこんこんと尽きないという、半減期の長い放射性物質のような不思議な会だった。
さらに驚いたことには、ランチがすでに4時間以上経過しているのに、庭に放ったらかされたうえ&ボニー組はまったく遊びに没入して飽きるということがない。
取っ組み合って、互いに激しくむしゃぶりつき、息を荒げて追いかけ合う。疲れて動きが止まると、「やっと終わったみたい」と誰かが言うそばから2頭はふたたび取っ組み合っている……そのサイクルが果てしなく繰り返されるわけだ。

ランチに集まっていたのは愛犬家として少しフツーではない領域にまで足を踏み入れている面々であったが、その人たちさえ「どういう犬たちなのよ」「ラブってこれだから……」と笑い、呆れていた。





これほど遊びつづけられる背景には、どちらもラブ(系)であり、ほぼ同年齢・同サイズであるという条件が揃っていることがあげられるだろう。
しかしおもしろいことに、この気の合う2頭の性格はまったく違うのである。

ボニーは裏も表もなく、縦から切っても、斜めから切ってもボニーが出てくる。どこを切っても純一のボニーなのである。
一方、うえの場合は、そう単純な話にはならない。



↑熱い接吻ではなく、ボールの奪い合い
2012年06月05日(火) No.128