俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

イヌ、人と暮らさず(1)



▲泥だらけのコングと遊ぶ

ボニーには一般家庭で飼育されていた経験がない――と私は考えている。

センターからわが家にやってきたとき、ボニーはほとんど人の言葉を解さなかった。
いまも人の言葉に対する反応は希薄だ。

コマンドのことをいっているのではない。
「スワレ」「マテ」などのコマンドはもちろんまったく入っていなかったが、そうしたものはオヤツをちらつかせながら教えればすぐに理解した。
しかし、人が日常的に発している言葉のなかから、自分のトクになりそうな言葉だけを都合よく瞬時に選り分けて反応する、あの家庭犬特有の卓越した(ときとして困った)能力を、この子は身につけていない。

ボニーは、「散歩」だとか「ご飯」だとか「おやつ」などといった、ラブなら強烈に反応するラブ的人生必須用語に、いまも反応しない。

犬とひとつ屋根で暮らした経験がある人ならご存じだろうが、犬は人間観察の達人である。
犬にとって、言葉によるコミュニケーションが仮に存在するにしても、少なくとも優位ではないだろう。
会ったこともなく、声も聴いたことのない相手と、ネット上で短文をやりとりしているうちに白熱の大げんかになるなどというエネルギーロスとは無縁である。

しかし、素晴らしく鋭敏な感覚器官をもつ彼(彼女)らは、人の発する音声の微妙な抑揚や調子、強弱を聴きわけ、特定のシチュエーションや、ひたすら待ちわびている特定の行為(食餌、散歩、オヤツ)と結びつけることができるのである。
うっかり「オヤツ」と口に出しそうになって、「おや……じは、ここにいる」と言い換えたりした経験は、あなたにはないだろうか。
そんな言葉を口に出そうものなら、やっと静かにお休みくださった犬がガバッと跳ね起き、急いで駆け寄ってきてしまう。シッポをバタバタと振りながら。
しかしボニーは、大声で「オヤツだぞ」と声をかけようが、「ご飯食べよか?」と尋ねようが、無反応である。



さらにまた、ボニーには、大型犬らしからぬ粗相があった。
小水をガマンしないのだ。
センターから出してきた直後、「お腹が痛くなるほどガマンしたら身体に悪いんだよ」と大量の排水を、悪びれずに床のど真ん中でするボニーに驚愕した。
ラブやゴールデンの女の子のなかには、見知らぬ環境だと場合によっては数日間も小や大をガマンする子がいるのを知っていたから、なおさらだった。
そのうち、この家の習慣を知り、数時間おきに外に出してもらえると理解してからは、少しガマンするようになった。
それでも、けっして無理をしない主義である。
水を飲みすぎたり、少し待ち時間が超過すればあっさりと水門を開く。
最近では、この家の水まわりがどこに存在するのか理解したらしく、ちゃんとキッチンのシンクの前の床(不幸なことにそこには床下収納がある)でなさるようになった。

散歩?
完全なる無政府状態である。「野生のボニー」と私は呼んでいる。

総じて人の手の痕跡がボニーには感じられない。
にもかかわらず、家の中では模範的な家庭犬として振る舞うボニーを見て、私は1頭のラブを思いだしていた。

2011年08月08日(月) No.120