俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

影(2)



▲あ、あれはなんだ!?

この本では、ユーリが、甲高い機械音、地面に落ちているペットボトルや、排水溝の格子のふた、ハンガーにかけたコートが揺れる姿などに強く反応する理由も説明してくれる。
犬のなかでは、おそらくユーリはとびぬけて先鋭な感覚の持ち主である。奔流のように感覚器から知覚されたものを、まだこの子は完全に理解できないでいる。臆病なのではない、鋭敏すぎるのだ。
優秀さの証でもあろう。
そうした資質は、ユーリが先天的に持っていただけではなく、産まれた後の飼育環境で、さらに磨かれた可能性がある。その点は可能なら後述したい。

さて、同書のこの先に、もうひとつ、とても重要な記述がある。
とはいえ、対比の強いものだったらなんでも怖がるのではなく、目新しくて予期していない視覚刺激だけを怖がる。(略)目新しさが問題なのだ。

動物はほうっておくと、たとえ目新しいものが怖くても、かならず自分でそれを調べる。(注)太字は原文では傍点

「新奇性嗜好」と「新奇性恐怖」という言葉を私は別の書物で学んだが、動物にとって新しいものは恐怖と同時に好奇心をかきたてずにはおかない。無理強いされなければ目新しいものを学習することも好きなのである。
そして、正しく学習すれば、怖がることはもはやなくなる。
現にユーリはほどなく、スロープに落ちた影の恐怖を完全に克服した。


▲苦手だった格子のついた排水溝も、自分なりの方法で調べてみるようになる

ユーリが立ちすくんだとき、「なんだ反抗してるのか、このワガママを許したら権勢症になる」と考えて、叱りながら、リードでぐいぐいと強いショックを与えたとしたら?
たしかにユーリは抗いながらもしぶしぶ動きだすかもしれない。
しかしあなたは、それを正当な行為と考えるだろうか。それがユーリにいい影響を与えると思うだろうか。とびぬけてセンシティブなコリーの子に。
私は思わない。断じて。

たいせつなのは、犬が人間とは比べものにならないほど鋭い感覚を持ち、同時に、知覚した情報を違ったやり方で処理するという事実を、謙虚に理解することだと思う。犬は私たちが考えるようには考えない。私たちが感じるようには感じないのである。

ときとして、目の位置を変えて、私たちの側から犬に歩みよる必要があると思う。

最後に、同書からもう1か所引用させていただく。
動物で手こずっているときは、かならず、動物が見ているものを見て、動物が体験していることを体験してみてください、と私はいつもいっている。動物を混乱させるものは山ほどある。におい、日課の変更、初めて体験するものなど、すべて検討するのだ。(略)犬や猫や馬や牛がなにを見てわずらわされているのか、自分に問いかけるのを忘れてはならない。
(注)太字は原文では傍点
2011年03月09日(水) No.114

影(1)




私とユーリのお気に入り散歩コースのひとつに、川沿いの公園遊歩道がある。
上の写真の、ゆるやかな折り返しのスロープを下って、公園遊歩道に入っていく。
ユーリはそこで、私と一緒に走ったり、斜面を駈けあがったり、鳩を追いかけたりするのが大好きなのだが、なぜか、このスロープの入口あたりで「オラ、行かね」と固まることがあった。
私は「行くぞー!」と精いっぱい楽しげな声をかけて少し前に出ると、軽く合図のようにリードを引いてみる。
それでも動かないことがあり、そういうとき私は迂回して違うコースを選んだ。

なぜだろう。さっぱりわからなかった。
もともと、こういうふうに垂直にきりとられたような場所に入っていくのがあまり好きでないのは知っている。
しかし、あるときは嬉々としてこのスロープを下りるのに、あるときは入口でフリーズするのはなぜか。
同じ日であっても、時間が違うと固まったり、しなかったりするのだ。

ある晴れた日、目の前に伸びたスロープを見て、はっと謎が解けた気がした。
影だったのだ。
向かって左側の手すりがスロープに影を落としている。ユーリはそれをおそれたのだった。
晴れた冬の日の正午前後に、ちょうどこのスロープ全部をふさぐように影ができた。ところが、曇りの日や、時間帯によってはここに影はできない。


▲オラ、絶対に行かねー

『動物感覚』(テンプル・グランディン※、キャサリン・ジョンソン、中原ゆかり訳/NHK出版)という本を読んでいなければ、ユーリのおそれの原因に私は気づくことができなかったろう。
ユーリの足を止めたのは、影がスロープに描いた明暗の強い人工的なコントラストだった。
同書から引用してみよう。
動物は暗視能力が私たちよりもはるかにすぐれているので、明暗の対比を強烈に感じる。(略)動物は床の上の強い対比を視覚の崖と思うらしい。暗いところは、明るいところよりも深いと思っているのだろう。(略)家畜脱出防止溝は道を遮断して掘られた穴で、金属製の格子のふたでふさがれている。(略)牛もその気になれば歩けるのだが、格子のあいだから深さ約六〇センチの溝が見えるので、歩かない。
牛の目には、溝と道路の対比はとても強く、おそらく底なしの穴に見えるのだろう。オリヴァー・サックスの著書『火星の人類学者――脳神経科医と7人の奇妙な患者』に、交通事故で色覚を失った画家の話が出てくる。画家は、交通事故以来、車を運転するのが困難になった。道路にできる木の影が穴に見えて、車が落ちそうな気がするのだ。色覚が失われて、明暗の対比が深さの対比に見えたのだ。

明暗の強い対比はどんなものでも、二色型色覚(*)の動物の注意を引き、気を散らせるか、あるいは怖がらせる。大型動物を移動させるときに、明暗の強い対比があると、途中で立ち止まってしまう。

(*)同書によれば、目に見える原色は、犬を含むほとんどの哺乳類が二色(青と緑)、人間と数種の霊長類では三色(青、緑、赤)だという。それぞれ「二色型色覚」、「三色型色覚」と呼ぶ。

ユーリの場合は、まさにこれだった。

(※)著者のテンプル・グランディンは、自らも高機能自閉症(アスペルガー症候群)であり、自閉症の人間と動物の感覚には通じるものがあると主張する。
「動物感覚」へのすぐれた理解によって、彼女は産業動物の「福祉」における第一人者になった。
ここでいう「動物の福祉」は、しばしば誤って用いられるが、煎じつめれば「動物を不要な苦痛なく効率的に人間のために役立てる(殺す)」方策を意味している。
著者の立場そのものを許せないという動物愛好家がいて当然だと思う。
また、以前にも書いたが、同書には科学的な実証性が不十分な記述も見られるので、信頼性を吟味しながら読む態度も必要だと思う。

2011年03月09日(水) No.113