俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

ピッポの遊び




「トラジと迷う。でも最後にはピッポかなぁ……」

「自分が飼うとしたら、どの子を選ぶ?」と問うと、迷いながらも家内はピッポに指を折った。
ここでピッポのコンペティターとなるのは、兄弟姉妹のなかでトラジ、小太郎、ジュリアの3頭。
ハル(♂)はわが家で過ごさなかったし、プリン(♀)はこの時点でまだ骨折が癒えていなかったから同じ土俵にのせることはできなかった。

私?
やはりさんざん迷った末に、小太郎かジュリアのどちらかを選ぶに違いないと思った。マゾ気味なのかもしれない。
しかしピッポという家内の選択には、私も肯(うなず)けた。いや、家内がトラジを選べば、それはそれで肯ける選択だと思ったろうが。

「知情意のバランス」といえばオーバーにすぎるかもしれないが、ピッポにはそれが備わっているように感じた。
だからといってこぢんまりとまとまっているわけではない。
器としては大きく、ときとして右に左に大きくはみ出ようとする力に圧倒されたとしても、船底竜骨から長いスタビライザー(安定板)の伸びたヨットのように、ある均衡状態に自然に回復しようとする力(自己安定性)を誰よりももっていたように思う。



私はピッポの遊び方に感心したことがある。
スープストックをとった後の牛骨をしゃぶりつくすと、子犬たちはそれをオモチャにして、囓ったり放り投げたりして遊ぶ。
ピッポは、ツルツルになった小さな牛骨を、家具のスチール製脚部の隙間にコツンと落とすのだった。
そうして、その狭い隙間から手を差し入れて、牛骨をとり出そうとする。
何度もその遊びを繰り返した。
ピッポはわざと困難な状況をつくって、それに挑戦するのを楽しんでいるのである。
人間の2歳児よりずっと上等ではないか。

わが家におけるピッポの評価は日に日に高くなっていった。
それと比例して、私の心に入りこむ油断の量も増えていったのである。
2009年12月25日(金) No.61