俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

トラジの不安(2)


私はじつに気楽な気分でトラジを迎えにいった。

トラジと預かりボランティアさんは、コインパーキング場の一角で、車から降りて待っていた。
しばらく見ないあいだに、トラジの体は大きくなっていた。
ボランティアさんからトラジのリードを引き継いだのだが、なぜか、私のもう一方の手にはクレートが握られていた。(このクレート、私が自宅から持参したものであったか、ボランティアさんがトラジと一緒に運んできたものであったか、記憶は判然としない)

ルンルン気分で家まで歩いて連れ帰るつもりでいたが、それは大間違いだった。
トラジはボランティアさんと別れて、私と同行することを全身で拒絶したのだ。
「センターから引きだしてあげたオジサンだよ」とか「ときどきご飯をあげにいったオジサンだけど、覚えてないかな」などと話しかけてもムダである。
シッポの先までパニックに陥っている。
反対方向にありったけの力で引っぱり、暴れ、死にものぐるいで駆け戻ろうとする。
彼が目指している場所から、とっくにボランティアさんの車は立ち去っているはずなのに。


▲不安顔をしたトラジ

たかが子犬じゃないか。
そう思われるかもしれない。
だが子犬とはいえラブの血が入った子である。恐怖と不安という加圧器でアドレナリンが注入されれば、あなどれない力を出す。
問題は、しかしトラジと私の力関係というより、首輪にあった。

トラジのサイズの子犬に装着してあるものとしては、通常ならこれで十分である。
が、こうして力いっぱい暴れているトラジと私をつなぐ唯一の道具として見ると、この首輪が急に頼りなげに思えてきた。
トラジがありったけの力でデタラメな方向に引くたびにぐーーーっと首輪は伸びて(むしろ多くはトラジの首の肉に食いこんだ分の余りがでるのだろうが)、不気味な隙間が生じる。
首輪抜けの不安がふくらんだ。
短距離だし子犬だからと油断して、もう1本、頑丈な首輪とリードを用意してこなかったことが悔やまれた。

こうなると、片手に持っている空のクレートが致命的である。
トラジは来た方向に向かってダッシュする。リードが伸びきるともんどりうって反対方向に引き戻される。反動で加速したトラジは私のまわりをぐるっと回って、また駆け戻ろうとする。
つまり、私の両脚をぐるりとリードが1周するわけだ。
両手はリードとクレートでふさがっているからバランスが上手にとれず、私はまるで皇帝ペンギンかなにかのように、両脚を狭く揃えてヨチヨチとよろめいた。
家までの残り70メートルが絶望的な距離に思えてきた。

トラジをクレートに入れてみようかとも試みたが、全身で抵抗してそれどころではない。
やむなく片手でトラジを抱きかかえた。
腕のなかでのけぞって暴れるトラジは、肉がみっちりと詰まって、予想外に重い。
万一、腕から落とすようなことがあればケガをするだろうから、暴れるトラジを押さえつけて運ばなければならない。

冷静に考えれば、クレートを道路脇に置いて、あとで取りに帰ればなんのことはなかった。が、ピンチに直面したときにかぎっていちばん愚かな選択肢を選んでしまうものだ。
私は片手にクレート、片手に暴れるトラジという態勢で、自宅まで這うようにしてたどり着いた。脂汗をかきながら、腕の痛みに耐えて。

1度だけ走ったフルマラソンの修羅を除けば、人生最長の70メートルだったかもしれない。

家の中に1歩入ると、トラジの不安症はウソのようにピタリとおさまった。
家内に向かっては、一瞬にして「お母さーん、会いたかったよぉ」と心を開いた。
「なんというヘタレなんだ、こいつは」と私は内心毒づいた。

じつはここから、もう1人のトラジ、別人格のトラジが出現したのである。


▲もう1人のトラジ
2009年10月20日(火) No.55