俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

散歩


散歩の大切さは、ことに譲渡団体で犬の預かりをするようになってから、痛感させられている。

犬の飼い方にはさまざまな流儀があるから、他の人のやり方に口をはさむつもりはないが、少なくとも私には、散歩をしないでその犬の性格を見きわめることはできないし、散歩をせずにその犬と心を十分に通わせる自信もない。

預かり犬と散歩に出る――。
その犬にとって、細いリード(引き綱)でつながった私だけが、この見知らぬ世界で仲間と呼べるたったひとつの存在なのである。
私と彼ら(彼女ら)は、ここでは、全世界を向こうに回すことも厭わぬ戦友であり、同志であり、友人であり、ブラザーである。

そうして、1本のリードを通して、互いの感情に――あるいはこういっていいなら心に――分け入ることができる。まあ、正確には、私がそう思っているだけのことなのだが。



私の散歩コースに川沿いにつくられた人工的な斜面がある。土留めの石が敷き詰められているだけの場所だが、桜の枝を日よけの天蓋にして、川の流れを見下ろすことができる。
預かり犬と一緒にそこに腰を下ろし、その息づかいを聞くのが私のひそかな楽しみになっている。

最近、短時間だけ立ち寄ったゴールデンの子どもは、世界から隠れるように私の背後に回りこんで動かなかった。
もちろん全方位へのシッコの放出に専念するヤツもいるし、早く早くと引っ張り続けるせっかちな子もいる。
ブリは私の傍らに座ってじっと周囲を眺めている。しかし、私が立ち上がる素振りを見せた瞬間、たまったエネルギーを爆発させるように一気に斜面をダッシュして駈け下りる。私は転がり落ちないように足を踏ん張らないといけない。

ブリは、散歩の前半は優等生とはほど遠い。正直、骨が折れるときもある。
しかし長い散歩の後半、住宅街などを抜けてわが家への帰路を歩いていると、誰が請うたわけでもないのに、ブリが嬉しそうな表情で私を見上げることがある。何度も何度も。まるで「嬉しいね、楽しかったね、今日のお散歩は」と歌声をあげているように。

その目を見ながら私は、これほど純粋で幸せな時間を自分がこの前に持つことができたのは、いつのことだったろうかと思う。
2008年09月18日(木) No.9