俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

小型犬と大型犬


前に書いたとおり、私の家はPerro保護犬の通過点になっている。
これまで、小は2kg足らずの小型犬から、大は30kgに近い大型犬まで、何頭もの犬がわが家を通り過ぎていった。

小型犬のよさは十分に承知しているつもりだ。

最近では、082のミニチュア・ダックスにすっかり魅了されてしまった。
何日かを一緒に過ごして、「このままコイツと暮らせたら」という思いを封じるのは本当に難しかった。
泣きたくなるほど、心根のよい子だった。
お金で犬の価値は測れないが、仮にこの子に値段をつけざるをえない事態になったら、私はありったけの大金を投資しても惜しくないと考えるかもしれない。
だが世の中は計り知れない謎に満ちている。この子への応募は皆無に等しい。
なぜだ! そう叫びたい気分になる。



ああ、それに069のチワワ。全身に緊張をみなぎらせて、凛として全世界と対峙していた。ちっぽけな体に似合わぬ勇敢さで、めったなことでは軍旗のように高く掲げたシッポを下ろさなかった。そのチワワから、私に向けて優しさがほろりとこぼれ落ちる瞬間の幸福感をなんと呼んだらいいだろうか。



けれども今回、ブリタニーをわが家に迎えて、「やっぱり大型犬……」とため息がでた。性格のよい大型犬には、ほとんど抗しがたい魅力がある。私はたちまちダウンを奪われたのである。
(※せいぜい20kg程度のブリタニーは、本来は中型犬に分類すべきかもしれない。けれども瞬発力の巨大さなどを考えると、私にとっては十分に大型犬である)
2008年09月01日(月) No.3

ブリタニーに何を求めるか


なぜ飼い主はセンターに迎えにこなかったのだろうか。

前の飼い主によってこの子に刻印されたハンドシャイを見て、私には何があったのか想像ができる気がする。
飼い主は、思うようにならないこの子に、手を上げていたのだ。

その人はいったい、ブリタニーに何を求めたのだろうか。
自分が求めるものと実際のブリタニーの振る舞いの差は、腕力――犬に与える苦痛の量――によって、修正できるとでも考えたのだろうか。



ブリタニーはブリタニーである。
それを理解せず、理解する努力すら怠って、「あ、かわいい」「頭よさそう」と自分たちの誤った印象に頼って家に連れ帰れば、飼い主とブリタニーの双方にとって不幸なことにしかならない。
ブリタニーらしいブリタニーほど、清潔と安穏と快適を至上命題に暮らす都会の多くの人にとっては、飼いにくい犬となりうると私は思う。

しかし、ともに雨に打たれ、泥にまみれ、汗だくになり、日に焼かれ、風に吹かれ、歩き、走り、遊び、喜び、互いに慈しみあう――そういう生活を自分の命のように愛することのできる人間にとって、ブリタニーは最良の伴侶となるに違いない。
そのことは、日記の最初に申しあげておきたい。
2008年09月01日(月) No.2

書けなかった日記


じつは、このブリタニーをわが家で預かってから3週間以上がたっている。その間、私は1行も日記を書かなかった。
その理由は、まず私の怠惰。それに、わが家はPerroの中継点の役割をはたしている。ブリタニーも当初は、わが家を通って別の預かりボランティアさん宅に行く予定だった。ぐずぐずしているうちに、結局この子を、わが家で預かることになった。その間、いたずらに時間がたってしまった。



しかし、日記が書けなかった最大の理由は、別のところにある。
一言でいって、この子はあまりにいい子すぎる。
欠点があったり、扱いに手を焼く犬について書くのはそう難しくない。あるがままを記せば、それなりに面白い読み物になる。
けれどもいい子について書くのは簡単ではない。「いい子です」「かわいいです」「本当に性格がよい」……平板で月並みな言葉の羅列になってしまう。それに、ホメればホメるほど、人は疑いを抱くものだ。ホントにそんなにいい子なのか。だったらなぜ、飼い主は迎えにこなかったのか、と。

そう。なぜ飼い主は迎えにあらわれなかったのか……。
2008年09月01日(月) No.1