俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

柴の謎(1)





カンペイとの暮らしも2年半を超えた。
5年前に亡くなった子を最後に、わが家では犬を飼っていない。
この会では預かり犬は1家庭に1頭が原則だから、2年半も1頭暮らしをつづけているカンペイはもうほとんどわが家の飼い犬のようなものである。

※とはいえ、預かり犬にはどうしても自分の家の犬とは違う配慮が必要であって、まったく同じとはいえない。

たまにショートの子が寄宿すると、なんともいえない新鮮さを感じることがある。
「ああ、犬ってこうだったよな」と忘れていたたいせつなものを思いだす気分がする。

というのもカンペイには和犬の流儀があって、洋犬とは行動原理が違う。
この違いはおそらく洋犬ひとすじに暮らし、洋犬を飼うお友だちとだけ触れ合っている善男善女のみなさんにはとうてい理解できないほどのものである。
私にもときどき理解できない。

そうした最近の私にとって、リロ(募集番号370。新しい飼い主さんのもとでバジルに改名)は新鮮どころか発見に近い生きものだった。
カンペイとはほぼ180度位相のズレた犬といっていい。

リロを見ていると――つまりジャック・ラッセル・テリアの子犬を見ているわけだが――私はチャーチルの有名な演説の1節を思いだす。

we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills……
(われわれは野で、街で、丘で戦う)

リロの場合、戦い=取っ組み合い=遊びなわけだし、その相手は犬である。
預かりボラさんのご報告によれば、はじめのころリロは散歩中に出会うすべての犬が自分と遊ぶべきだと考えていたようだが、大半の成犬から激しく邪険にされるという経験を必要以上に積んだ後、その考えを撤回し、同年配の遊び友だちを選んで集中的に取っ組み合いをおこなうようになった。



あたしたち女の子同士。仲よし。格闘家。身体を張った野蛮な遊びが大好き

なかでもよく遊んだ(戦った)のが、1、2か月年長のハスキーの女の子だった。
預かりボラさんのお宅がわが家からそう遠くなく、散歩コースが重なっていたので、ときどきその2頭の取っ組み合いを観戦することがあった。
いやこれはもうゴジラ対アンギラスですよ。間違いなくすごい見ものだった。
互いに上となり下となり、ヨダレと泥まみれとなって、えんえんと終わらない。
感心させられるのは、柔道だったら対戦できないほどの危険な体格差が2頭にはあるのに、全力でしかも対等に遊べるのである。
どちらかが大泣きして後味の悪い終わり方をするなんていう人間の子ども同士のようなことは起きない。
こういうときの犬の能力は素晴らしいとしかいいようがない。




一見死闘。しかし決してどちらも傷つかない。上となり下となりエンドレスでつづく

で、私が不思議に思うのは、こうした激しい取っ組み合い遊びを間近にしたときの(カンペイを含む)柴の態度なのである。
2015年02月04日(水) No.183

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