俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

ラキ男のこと(6)





私の好きなコーギーとは、そんな犬たちだ。

だからこそ、逆算して当時70歳すぎと60代半ばという夫婦にコーギーの男の子が売られた事実に、私は少なからぬ衝撃を受けた。
キャバリアの飼育体験だけがよりどころという老夫婦が、これからの時間を一緒に過ごす相手として、これ以上ないほど間違った選択といっていいのに。
※個人的には、その年齢で子犬から飼う選択自体が、いかなる犬種であろうと、間違っていると思う。

老夫婦はおそらく、子犬時代を終えたラキ男の体力と意欲、エネルギー、あるいは自我の、想像すらしなかった強さに驚いたはずだ。
夫人は「キャバリアとは全然違った」と話していた。
庭で放し飼いにして、ベランダに犬小屋を置いた。
自分たちの生活とラキ男との関わりを小さくとどめたいと考えてに違いない。
これがコーギーの飼い方としては決定的に不適切な方法だったことに、この夫婦は、なにも気づかないまま9年間を過ごしたのである。

「退屈したコーギーは破壊的なコーギー」という「名言」がある。
この言葉は他のハーディング・ドッグに置き換え可能だ。ジャーマン・シェパード、ボーダー・コリー、グローネンダール……。

牧畜犬はのんびりと草を食む羊や牛を眺めながら平和のうちに暮らしていると漠然と考えている人は、こうした犬に穏和な性格を思い描き、期待するのかもしれない。
しかし、ハーディングの能力はもともと捕食=狩りの本能の応用変形であることを忘れてはいけない。
オオカミから受けついだ本能の深い部分を解放し、選択淘汰して磨きあげた結果が、これらハーディング・ドッグたちの原型なのである。




しかもこの犬たちは、人間の指示にはきわめて忠実に、瞬時に反応しなければならない。口笛や声、ほんの小さな身振りなど、人の発するコマンドに自らが従うだけでなく、その指示にしたがって家畜の群れをコントロールする。
片時も注意を逸らすことなく、空間的に家畜の群れを把握して、その動きを連続的に、あるいは未来予測的に察知することができる。
また、外敵(他の捕食動物、掠奪者など)から家畜を守るガードドッグの役割もこの犬たちは果たす必要があった。いちはやく危険を察知して大きな吠え声で飼い主に報せたり、追い払ったりしなければならなかった。

つまり、ひとことでいって、途方もない連中なのだ。

こうした高感度・高性能マシーンのような犬たちを何もさせずにおくと、能力とエネルギーのはけ口を求めて、破壊的活動に精をだすようなことが起こる。ひどい場合は、自己破壊的になるといわれる。自らを傷つけるような行為をおこなうことすらある。

本能的に彼らが求めている骨の折れる作業や、自他に守らせるべきルールを与えず、人との関係を希薄にしたまま、ただ庭に放っておくのは、この種のハーディング・ドッグたちにとって考えられる最悪の飼いかたであると思う。(※)

それが9年間つづいた。

十分なメンテナンスと、存分にエンジンを回転させてあげる必要のあるレーシングカーを、その能力に気づくこともしない人間が、裏庭に駐めたまま雨ざらしにするほど痛ましい光景は私には思い浮かばない。

(※)他の犬種については、また違う事情があるだろう。それについてはあらためてカンペイのところで書きたいと思う。


2013年12月23日(月) No.161

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