俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

柴の作法





先代の預かり犬・ボニーは、センターに収容される以前、ふつうの家庭でふつうに暮らした経験はなかったのだろうと私は考えている。
にもかかわらずボニーはわが家にやってきた初日から、家の中でまったく違和感なく振る舞い、一瞬にしてわが家の暮らしに適応したものだった。
「ご飯」「散歩」など人の言葉を知らないようだったが、2か月もすると完全に覚えて、必要以上に機敏に反応するようになった。
ボニーはほどなく私の行動の先回りをして動くようになった。有能すぎる秘書のように、なぜか私自身より私の次の行動予定を熟知しているのだった。

一方、こちら黒柴男子は、たぶん人からかなりかわいがられて暮らしていたのだろう。行動のはしばしからそれが感じられる。
しかし、ボニーとは対照的に、黒柴は新しい環境に自らをじょうずに適応することがなかった。少なくとも目に見えるようには。(長い時間尺度で見るなら、もちろん適応していっている。ここで書いているのは、あくまで最初の1、2週間の印象でしかない)
比喩的にいえば、繁華街の雑踏のド真ん中で「ここはどこ?」って感じで、ぼーっと突っ立っているオッサンみたいなのである。





直後の印象をいくつかあげると――
まず独創的な感情表現の数々。
初対面の挨拶は、人のお尻の臭いを不作法な熱心さで嗅ぐことだった。
基本的にはポーカーフェイスだが、嬉しくて少しハシャグときには(だと想像するのだが)、だしぬけにパクッと私の膝あたりを噛む。痛いほどではないが、予測ができないこともあって、けっして愉快な経験ではない。反射的に飛び退いてしまう。
呼ぶと、まず来ない。
たとえば散歩に出かけるとき、私がバタバタと散歩の支度をして、「行くぞー、散歩!」と声をかけても、伏せの姿勢でじっと無表情に私を見ている。
ボニーであれば、転がるように走ってきて、私を突き飛ばしながら玄関口に向かうところである。
他方、庭で「自由に遊んでシッコしろー!」とフリーにすると、いつの間にか私のすぐ横に所在なげに立っている。
私に何かしてほしいことがあると、これ以上考えられないほど不器用な動作で上半身を起こし前脚でクイクイっと私の体を掻く。それが予想外に痛いのである。
しかも、それでこの子は何をご所望なのか、最初のうちさっぱりわからなかった。(いまでも完全には解読できていない)

犬に向かってAのボタンを押せば、(A)の反応が返ってくる――という私のこれまでの常識は、まったく通じなかった。
Aのボタンを押しても無反応か、(イ)(ロ)(ハ)なんていう遠く外れた反応が遅れて返ってきて途方に暮れることがあった。

その一方で強く感じるのは、これはまたなんと我々自身の身の丈に合った犬種なんだろうかという安堵とも脱力ともつかない感情である。
たとえばそのサイズ。大きすぎず、かといって小さすぎない。
散歩でどんなに強く引こうが、成人男性ならヒジから下の力だけで対処できるレベルである。
イタズラや破壊行為をおこなったって、タカが知れている。もちろん、これはあくまでもラブなどの洋犬と比べての話だが、そもそも破壊という行為にかける根性が違う。
若く元気な男の子だが、活動的な日課を与えれば体力の底は比較的あっさり割れる。底の見えない体力を持った西洋帰りの連中とは違うのだ。

一緒に歩いていると、「そこの2名、とっても似合う」と家内から太鼓判である。複雑な心境だ。
2012年06月08日(金) No.132

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