俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

よきもの




あまりに日記をサボって、前回に続いてなにを書こうとしていたのかも忘れてしまった。
サボリつづけている間に、何人もの方から「日記どうなってるんですか」と尋ねられ、「日記書かないのは、ボニーが手放せないからじゃないの」などと言われることもあった。
ボニーになにかあったのかと心配した人はいても、私の健康を気づかってくださった人徳ある方は、残念ながらひとりもいなかった。
この際だからいっておくが、まったく健康です。

そうだ、前回、私が書こうとしてたのは、ボニーに備わっているほとんど天賦と呼ぶべき能力のことだった。

家の中で暮らすボニーは、ほぼ理想的な伴侶である。
単にマナーがいいというだけではない。
家内は「思うことをいつもボニーに話しかけていた。この子がいなくなったら、どうしていいかわからない」などと言う。
日本語をよく解する立派な人物がすぐ近くにいるというのに、これだ。

ボニーには――多くのラブにはといいかえてもよい――人が人に求めながら、ついぞ得られない何かが感じられる。
思わず人が心をうち明けたくなるような何かが。
それはおそらく、ラブに特徴的に与えられた能力のひとつであり、起源をたどれば、前回書いたラブに私が感じたのととてもよく似た「よきもの」から出発しているように思えてならない。

じゃあ、その「よきもの」とは?
それをラブの「根の善良さ」などと書いてしまうと、あまりに平面化しすぎて、なにかが少し違う気がするのだ。



2011年11月21日(月) No.122

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