俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

ごほうび



▲頭が異様にでかいのはレンズの歪曲のせい。リアルボニーはもっとスマートだ

「この子はウチへのごほうびよね」
家内が私にそういった。
ボニーは家内のたいそうなお気に入りなのである。

かねてから不思議なのだが、女性はこの「ごほうび」という言葉をよくつかう。
それも、たいてい自分自身に対するものとして。
よく働いた私へのごほうび、うんと苦労したごほうび……という具合だ。
自分の善行に対しては、かならずや、周囲の誰かか、天の神様から何かのプレゼントがあるべきという発想なのだろうか。
もちろん通常はそんな「ごほうび」はどこからもやってこないから、自分で自分にごほうびするわけだ。
それがボニーというのも、考えればなかなか寂しい話である。

ともかく、わが家を通過していった犬たちのほとんどと接した家内がそう口にだしてしまうほど、ボニーはいい子なのである。
同じラブであっても、以前の預かり犬・テツとボニーではもう話にならないほどボニーのほうがいいと家内はいう。
たしかにテツは問題だらけの犬だし、ボニーは家庭内の日常生活での問題はほとんど見られない。
しかし私はといえば、テツのあの一途さに惹かれる。
ボニーはいい子だが、なんというか職場のだれに対しても同じだけ愛想のいい美しい女性みたいで、文句をつける筋合いはないのだが、どこか私には不満である。(ただしこれが理のないオヤジ的言い分であることは知っている)

ちなみに家内の「ボニーごほうび」説は、ボニーの散歩に一度同伴してから撤回された。


▲洗濯物の山に頭をつけ、身体にカーテンを巻いて爆睡中

さて、前回までの日記をお読みになって、ある矛盾に気づかれた方がいらっしゃるだろうか。
当然、スワレやマテなど何ひとつできなかった。
できるできないというより、そういう人との関係がボニーには未知だったようだ。(7月26日)

こう書いた翌日に、私は次のように書いている。
いかに人と暮らすかを、この子は知っているとしか思えない。(7月27日)

人との関係が希薄だったように書きながら、一方で人との暮らしを熟知しているように書いているのは、いったいどういうことよ、と。
それについての私の考えは次回に。

2011年08月01日(月) No.119

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