俺 流
[ Perro Dogs Home 預かり日記 ]
コリー(2)
▲春一番に吹かれて歩くユーリ
コリーがやってきたとき私は小学校低学年だったろうか。詳しい記憶は抜け落ちている。
老母にコリーのことを尋ねると、老いと病みによって思考力のおぼろになった頭が突如痛みで覚醒したように思いがけず強い口調になって返ってきた。
「そのことはもう思いださせないで。あの子はとてもやさしい、いい子だったのに……。本当にかわいそうなことをしてしまったのよ」
手で私の言葉をさえぎり、深いところからの思いを吐き出すようだった。
「貴族のような子だった。ウチがあの子にふさわしくなかったの」
私に似て万事に冷笑的なきらいのある母の口からこれほど真率な言葉を聞いたことに私は驚かされた。
ここで、どうしても故人である父親のことを書かなければならない。
父親は「自然状態」を強く好んだ。自然の生命力、活力、あるがままに湧きあがるような力の息吹を。
自らもあらゆる意味で屈強な人だった。しねしねした弱さを嫌った。
大型犬を好んで飼った。
私が記憶しているだけでも、秋田犬、コリー、エアデール・テリア、セッターがほとんど切れ目なく実家にやってきた。
飼育法も「自然がいちばん」である。
当時、実家には柵の設けられた大きな犬舎もあったが、庭で終日フリーにすることが多かったように思う。
ほとんどほったらかしだった。
やってきたコリーは、天才ラッシーではなかった。
当たり前の話だが、なんの訓練もしていない子がなにもできなくて当然である。
私の記憶に残っているコリーは、いつも被毛が幾重にもからまって汚れていた。とくにお尻のまわりがひどかった。
私はいま、恥をしのんでこの文章を書いている。
この家は、コリーを、犬を、飼うべきではなかったのだ。飼ってはいけなかった。
ただし、公平のために言うのだが、父親は自分の子どもも犬と同じような心で扱った。
幼い子どもたちが、鶏小屋(大昔に実家にあった。私もときどき卵を取りに入った)で鶏と一緒に鶏糞にまみれている姿を見て喜ぶような人だった。
私がいちばん心に残っているのは、いつも少し遠くを見ているようなコリーのやさしい目だった。そして立ち姿。いつもすくっと直立していた。
子どもが何をしても決して怒らなかった。昭和30年代のシツケの行き届かないクソガキが何をしても、だ。
存在そのものが、どこまでも深くやさしかった。私の犬に対するイメージは、およそこのコリーによってかたちづくられたのではないかと思う。
2011年03月06日(日)
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