俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

警戒吠え(2)




私たちは、犬が(正当にも)異変に気づいて吠えると、やみくもに叱ったりする。
おうおうにして、その原因もよくたしかめずに。
もちろん人間側にもさまざまな都合がある。
犬に対するそうした叱責は不当であるケースも少なくないことを、ときどきは思いだすべきだと思う。

だいぶ以前の話だが、『SASセキュリティ・ハンドブック』(アンドルー・ケイン、ネイル・ハンソン、清谷信一監訳/原書房)というまったく畑違いの本で、犬について予想外に本質をついた言葉に出会って、私は少し驚いた記憶がある。
その部分を引用させていただくと――
SAS(※)連隊では番犬への対応策を何か月も何年もいろいろと試してきたが、結局有効な手立てを見つけることはできなかった。われわれができないとすれば、泥棒連中にできるはずがない。いったん吠えはじめると飼い主が止めるまで犬は吠えるのをやめない。(略)結局、吠えている犬に対してはその場を去る以外、どのような有効手段も対応策もないということである。

もしあなたが犬を飼っていたら、犬のその警告に応えてやらねばならない。ところが犬が家のなかで吠えはじめると、おおよその人が静かにするように犬を叱りつけるだけで、犬がなぜ吠えているのか、外に出ていって調べようとはしない。

(※)SASとは睡眠時無呼吸症候群ではなく、英国陸軍特殊空挺部隊のこと。世界でも最精鋭といわれ、各国の特殊部隊が範としている。

ユーリは(にかぎらず犬は)、あらゆる差異にきわめて敏感である。
私がキッチンの調理台の引きだしを修理するために(ボンドで接着しただけだが)、引きだしを取り出し、ボンドが乾くまで床の上に無雑作に立てておいた。
と、その光景を見たユーリが、がぜん吠えだした。
たしかに、空っぽの引きだしが取っ手の側を下にして床に突っ立っている姿は異様である。
私たち人間は、その異様さを脳内で無視できるような設計になっている。だから本当は見ているのに見落とすことも少なくない。
ユーリは目に映るもの(あるいは感覚器がとらえたもの)は何ひとつ見落とさない。
異質に対しては全方位的に高感度センサーのように反応する。
私たちの思いもよらない何かに対して恐怖することもある。

先日、ユーリと散歩していると、突然、ユーリが棒のように立ち止まり、空を見上げてスワレの姿勢になると悲鳴に似た短い吠え声をあげた。
カラスか……。
ユーリの視線の先に急いで私が目をやると、樹のてっぺんでオジサンが剪定をしていた。
「やあ、ワンちゃん、驚かせてちゃったね」
「いや、どうも」
2人が不器用に言葉を交わすと、ユーリは警戒心を解除したらしく、吠え声をのみこんだ。


▲カラスを注視するユーリ

じつは似た経験を私は過去にしている。
以前、一緒に暮らしていたセッター種は、穏和な平和主義者であって、めったなことでは吠えなかった。
けれども、ここ一番ではきわめて優秀な番犬であった。
隣家に植木屋さんが入って境界の塀の上に立ったり、誰か見知らぬ人が黙って敷地に侵入してきたりしたときには(その人の意図にかかわらず)、驚くほどの吠え声をあげた。
しかし、私がその人とフレンドリーに言葉を交わせば、そこで吠えやんだ。
そのセッターはまた、地面に横になって腹筋運動をしているような人と夜の散歩中に出会うと、滑稽なくらい全身を緊張させて警戒したものだった。
道の真ん中にテレビが落ちているというありえない光景には、大きく道をよけて歩いた。

私たちは都合よく忘れてしまうのだが、歴史的に見れば、人は警戒吠えをはじめとする犬のこうした特性をたいせつに利用してきたのである。
2011年02月18日(金) No.105

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