俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

別れ




コーギーの男の子がわが家を去って、預かりボランティアさん宅に行った。
家内の発案で、この子には「ボリス」(※)という勝手な呼び名をつけていたが、むろん名前も変わる。
2週間ちょっとの滞在だった。

ユーリは、いなくなったボリスの姿を求めてしばらく探し回った。
そして、ある瞬間、心のどこかで「もうアイツはいないんだ――」と気づいたらしく、なにか魂が抜けたように静かになり、夜は早い時間から爆睡して物音にもけっして目を覚まさなかった。
翌朝は、いつものように起きて真っ直ぐボリスのクレートが置かれていた場所に走っていったが、そこにはすでにクレートすらなかった。
庭に出ると、寄る辺のない心細さに震えるように、じっと私に身を寄せてきた。
そのままずっと身じろぎもせず寄り添っていた。
つい前の日までは、ボリスに夢中で、私などほとんど眼中になかったのに。

頭がスッカラカンのように見えたこの子犬には、いつの間にか、微風に揺れるさざ波にも似た寄せては引くこまやかな心の機微がそなわっていた。
この朝のユーリのひとつひとつの所作は、思いがけずやさしく、頼りなげで、心にしみた。
私はこの朝のことを忘れまい。

その後ひと眠りすると、時限装置的感傷は消え、すっかりもとのユーリに戻って、走り回り、甘噛みし、ガンガン吠えた。


おちゃらけ2人組

さて、コーギーのボリスについて――
この子がどんな子であるかは、募集コメントやこれから書かれる預かり日記をお読みいただきたいが、私にもどうしても書いておきたいことがある。

(※)家内が「ボリス」という名前を思いつき、これには私も珍しく反対しなかった。というのも、ボリスもロシア名であり、「ユーリ」とはいろいろ因縁がある。
たとえば、ロシアの初代大統領となったボリス・エリツィンは改革派の飲んだくれだったが、ほぼ同時代に、これと対照的なソ連時代の硬直した党官僚的なユーリ・アンドロポフというトップにまでのぼりつめた不人気な政治家もいた。詩人のボリス・パステルナークが書いた小説「ドクトル・ジバゴ」の主人公は「ユーリィ」だった。私もこの大部の小説を購入し、30年間書棚にあるが、明日から読もうと思う。

2010年12月14日(火) No.92

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