俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

しつけ2


私はしつけに関して(も)全然ダメな人間である。

しつけに必要な一貫性、持続性、根気といったものが、どこか私には欠けている。パチンコをしていて、玉が出だすと「ああ、面倒だなあ」と思うような、私は人間なのだ。(そんなだから、もう20年来、パチンコをしたことはない)

ブリもわが家に到着以降、しつけの面でめざましい進歩は何ひとつない。
しつけができなくたって、私がいいからそれでいいのだ――という考えが一瞬、心の片隅をかすめ飛ぶことがあるが、すぐに「それは間違いだぞ」と自分を叱咤する。



犬と私が社会的存在であるかぎり、「自分がいいからいい」とは絶対にならないことを、私は知っている。
1島まるごと8千数百万円で売りに出ているという瀬戸内海の無人島を私が購入し、そこで完全に自給自足の生活をするようになるまで、この言葉は引き出しにしまって大切にカギをかけておくべきだろう。

それに、自分以外の人の手に犬が渡る可能性をつねに考慮しておくのが、よき飼い主の務めでもある。万一のそのとき、犬がどう振る舞うかで、その後の犬の生活の質どころか、場合によっては生存のチャンスすら左右される可能性があるのは、譲渡活動で私たち自身が骨身にしみて理解していることだ。

前置きが長くなったが、私が自分のダメさ加減を痛感させられたのは、♀のダルメシアンを短期間預かったときのことだった。
とても優美な女の子だったが、センターから引き出してわが家に連れ帰ると、スワレひとつできず、散歩に出れば気ままに引いた。あれ、なんにもしつけが入っていないのか、この子は……と私は少し当惑した。

その一方、家の中ではいい子の模範のように振る舞った。
私にベッタリ寄り添い、「あなた大好き」という視線を私に送り続けて、甘えた。そこで私は「これはこれで、まあいいか。いい子だし」と考え、手綱を緩めっ放しだった。

自分がすっかり見誤っていたと知ったのは、一時預かりボランティアさん宅にダルメシアンが移動してからだ。


この目にやられた

そのお宅は大型犬のベテラン飼い主さんだった。
白紙の状態でこの子を見て、家庭犬として必要な振る舞いをひとつひとつきちんと求めていった。
まず、スワレをしないと自分の望むアクションには移れないのだぞとダルメシアンに示すと、あっさりと座った(らしい)。
散歩で気ままに引いたときには、いかにも大型犬のベテラン飼い主らしく、ハーフチョークをカツンと引いてショックを与えた。すると、呆れたことに、コイツはぴたっと横について歩きだした(らしい)。
信号で立ち止まったときには、横についてスワレまでする(らしい)。

つまり――考えたくはないが――こういうことなのか。
この子はなんでもできたけど、私の前ではなんにもやらなかった。
私のようなダメ飼い主は、こうして籠絡され、犬にとってみごとに「(都合の)いい飼い主」になるわけだろう。

私とこの一時預かりボランティアさんの違いは、即断せずにきちんとやるべきことをやった点、なによりも同性(女性同士)であったから、ダルメシアンの「しな」や甘えにびくともしなかったのが大きい(と私は考えたい)。

いまこのダルメシアンは、最高の環境で幸せに暮らしている。
先住の♂の大型犬はたちまちダルメシアンの尻に敷かれ、ご主人はこの子の最大の賛美者と化している。
頼りは奥方ひとりということだろう。
2008年09月25日(木) No.10

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