俺 流  [ Perro Dogs Home 預かり日記 ]

鳥猟犬というもの


ときどき「猟犬って気が荒くて大変でしょ」と尋ねられることがある。
「いいえ、猟犬ほど、気のやさしい、平和主義の犬はないですよ」
そう答えることにしている。
たいていの人は、「いつも、いいかげんなことばかり話す人だなぁ」という表情で聞いている。

以前飼っていたセッターを思いだす。
呆れるほどタフで、散歩ではこちらの寿命をすり減らし続けたし、頭がよく、容易に人を出し抜いた。
決して飼いやすい犬ではなかったかもしれないが、しかしあれほど本質的に人にやさしい犬はなかった。



まだ小学生だった長男が、悪ガキ仲間を家に連れてきて庭で遊ぶと、セッターは格好の遊び相手になった。
水鉄砲で水をかけたり、火薬で音のするピストルを鳴らしたり、目の前で木の枝を振り回したり……およそ犬の嫌がるあらゆることを子どもたちはしでかしていた。

セッターは、乳母がそうするように、困った表情で子どもたちを見ていた。本当は自分の身だけを心配しているのだろうが、ハタから見ると子どもたちの身を案じているようにも見えた。
うなり声をあげるでもなく、敵対的な素振りのひとつも見せない。ひたすらオロオロしているだけだった。

セッターの遺伝子には、「ロボット三原則」のように、人に対する威嚇や攻撃といった敵対行動の抑制が書きこまれているんじゃないかとさえ思ったが、それは違った。
隣家に植木屋さんが入り、わが家との境界のブロック塀によじ登って樹木の剪定などしていると、セッターは激しく吠えかかった。

ブリと暮らしていて、あのセッターを思いだした。
しかも私の見るところ、「ずるさ」をしばしば発揮する油断ならぬ生き物であったわが家のセッターより、ブリのほうがはるかに純である。
2008年09月16日(火) No.8

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